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震災とTwitterのこと


(2011.06.12 城北公園の早朝散歩; 以下8枚同様)

先月(5/14)「震災諸説雑感」の中で数点の予告テーマを挙げておいたが、今回はその中のひとつ「震災とTwitterのこと」について書き出してみた。項番で言うならい乏催する。(したがって今回も文中の写真は記事内容とは直接リンクせず、平穏な昨日6/12の小雪丸ショットです)


▼日本人とTwitter
さて、2010年は日本にとってTwitter元年と言われる年だったが、今年2011年はfacebook元年とも言われている。だが日本人にとってfacebookはtwitterほど順調には定着していないようだ。登録はしても、活用には至らないユーザが多いのかもしれない。私自身がそうした1人だと思う。

果たして、その違いはどこから来ているのか…時折考えるのだが、どうやらfacebookの(あくまで原則なのだが)実名登録が普及にブレーキをかけているのではないかと思われる節がある。mixiなどにおいても同じことが言えると思うが…日本人は匿名が好きだ。過剰な個人情報漏洩に対する拒絶反応があるのかもしれない。(一方で、facebookとmixiはシェアを分け合う?という観測も成立つ)

その点でTwitterは匿名のまま参加することをスタンダードとしたSNSのツールだ。気まぐれで参加し、望むならばいつでもアカウントを放棄して新しい名前で出直すこともできる。しかしいったん実名を晒してしまえば、そういうわけにもいくまい。
実名を晒すことで自らも他者からの検索を受けやすくすることが出来る。それによって自らの属性に関わる人々(学校・会社・団体など)との連携を強化できるという利点はあっても、何かトラブルが生じたときは身を隠すことも難しい。



Twitterの匿名性は、その点でも気楽な参加を推進する母体なのだろう。facebookは全世界で5億人、Twitterも間もなく2億人といわれる多数のユーザーを擁するSNSだが、Twitterに至っては、その使用言語の2割が実は日本語(日本人)であるという統計結果に、一国としての特殊性を感ずるのは私ばかりではあるまい。

前置きが長くなったが、今回は東日本大震災と、このTwitterとの関係について述べる。
震災当日の回顧録にも、リアルタイムでの情報をTwitterから得ていたことについて少し触れたが、震災当日以降も、このTwitterは重要な役割を果たし、その余波は今もなお続いている。

多くの人々が情報発信者となり、素早く有益な情報を発信し、それを受けた人がタイムラグを最小限に抑えた反応をして動く…非常時のメディアは何をおいても速くなければならない。新聞では遅いことも多いし、TVやラジオといった従来型のマスメディアでは個々の要求には応えられない。

パーソナルメディアにはブログなどもすでに定着しているはずだが、それでもその更新はせいぜいデイリーであり、そのレスポンスにも通常2-3日はかかる。つまり情報がネットに載せられてから幾度かの往復があり、結論を得るまでには時間がかかりすぎる欠点もあるのだ。



その点においてもミニブログと呼ばれるTwitterは速い。まめにアクセスすることを厭わなければ、1時間以内に一つの発信に関わる結論を得ることが出来る。わずか140文字という短い制約をもった情報の飛び交う速度がとにかく速いからだ。

検索もあらゆる方法を駆使して行うことが出来るようになった。一つの発言の大元となるルーツは何日前の誰であったか…そうしたレベルまで現在は辿ることができるのである。少なくともこの一年間でTwitterは進化し続けてきた。そのことは、おそらく一度使用しただけで中断してしまった方には知られていない事実だろう。

そしてTwitterだけの世界ではなく、googleやその他検索サイト、マスメディア、ブログシステムもこの小さなSNSを意識するようになった。つまり「Tweetすること自体が簡略化されている」のである。小さな鳥のマークがネット上の大半に表示されるようになって、ほぼ半年が経過している。どういうことかと言えば、周囲がTwiiterでの話題とされやすくすることを目指して歩み寄ったと言うこともできる。もはやボタン一つで極めて短時間で他人に情報を伝えることにも不自由しない。




▼震災以降のTwitter
さて、震災以降のことであるが…被災地の情報、避難した人々の消息、福島原発の刻々と変化する惨状、被災地に取り残された動物たちの保護や問合せ、支援物資の搬送、ライフライン復旧に至る情報、そして支援物資や義援金のこと…

こうした様々な情報が震災の翌日からは、驚くほどの量と速さで飛び交い始めた。むろん私はさほど多くのユーザを(あえて)フォローしているわけではないから、私自身がネットから読み出す情報といってもたかが知れたものだ。それでも驚くほど多くの情報が流れ、追跡もままならぬほどであった。

もし私の10倍、100倍、1000倍のフォロー数を持つユーザであれば、その量は如何ほどであったことかと思う。画面から(特定フォロー先のみを)読み出す独自の工夫(それはアプリケーションやリストと呼ぶ機能で可能だ)がなければ、ひたすら画面に流される情報に目を凝らすだけで一日が終わってしまうだろう。それほど回転の速い情報がリアルタイムで流れた。

その混乱に、私ですら止む無く、震災直後に有益と思われないユーザの何人かをリムーブしたほどだ。つまり画面に過剰な不要情報を流すユーザへのフォローを自ら切り捨てたのである。それによって本当に必要なフォロー・フォロワー同士の情報交換が可能になる。



Twitterはフォロー(自分から相手を)とフォロワー(相手から自分を)との関係によって情報のやり取りが成立っている。そしてこの人間関係は常に動的に変更できるものだ。だから自分にとって有益と判断できる情報発信者をフォローし、その情報収集枠を拡大していくことが可能だ。

例えば私自身も震災直後は、被災地周辺に在住される方の何人かをフォローしたり、行政の長をフォローしてローカルな公式情報を得られるようにもした(その大半はすでにフォローを解いたが)…こうすることで、伝聞ではない生の情報を得られるようにもなる。

ただ一方で、万人が情報発信者となれるTwitterは、その情報の信憑性においても、常に危うい諸刃の剣であることも事実だ。発信者自身の経験やスキルによっても、その情報の確度がゆらぐことは決して少なくない。

加えて怖いのが安易な伝聞によるデマの拡散である。今回も様々なデマが飛び交い、それに関与する人々を翻弄した。教訓として得たのは「疑わしきは必ず自分の手で確かめる」ということなのである。むろんそれが出来るかどうかが、他人までを巻き込む迷惑情報を発信せずに済むかどうかに繋がっていく。



つまり未熟なユーザは必ずネットに混乱を引き起こす結果となる。そして憂慮すべきは、Twitterのタイムライン(流れる画面)に次々と表示される新情報を発信し、あるいはリツイート(転載による拡散)するユーザが、思慮深いかそうでないか…は即断できないということにあった。

こうした懸念は単に市井の人であるか、それとも有名な肩書きを持った人であるかで、単純に切り分けすることも出来ないことが悩ましい。100万人のフォロワーを持つ男でも時に危うい情報を発信するし、その逆に日の浅い者であっても正しい情報を発信することもある。とりわけ震災以降は、権威や知名度に左右されずに真偽を見極める自努力が必要な3ヶ月間を過ごした気がする。


▼Twitterのジレンマ
今回の震災は「巨大地震・津波・原発事故」という三重苦を日本にもたらした。そして、その中でもTwitterで最も多くの情報が錯綜したのは原発事故に関するものであった。

そして不本意なことではあるが、私の(会社の)所属部門は、震災関連のインフラ…つまりエネルギー、キャリア、メディア等に関するIT分野において、いずれもかなり深い関わりがある。その顧客名はあえて挙げぬが…真実を隠し(?)、被災では脆弱性を曝し、報道においては全てを伝えぬ…と非難される側の企業群と言えば、およそ想像もつくというものだろう。

むろん私の会社は当該企業自身でもないし、私自身がその企業を直接担当しているわけでもない。しかしそれでも、その内部事情や事業計画の詳細は、望めば私の知るところともなる。だから仮に擁護すべき情報の一つを知りえたとしても、それを私はTwitterでつぶやくことはできない。



震災以降のジレンマは、常にそうした意識下の感情を圧迫することとなった。それでも一言でいえば、私は冷静を保つしかない。いや決して無理にとか、虚勢を張るとか、やせ我慢をするとか…そういうことでは決してなかった。私は平常時においても本来ならば冷静な立場だ。むろん、それを信ずるか否かは、皆様にお任せするしかない(笑)

こうした背景もあって、私は如何なることにも安易に「騒げない・騒がない・騒ぎたくない」…しかし、それはどうでも良いと考えているからではない。震災以降のTwitterでは、多くの場面で、批判の声を上げないことを罪悪視する傾向が顕著だった。なにしろ国や東電は情報を隠蔽し利権を守ることに必死、との評価が大半であったわけであるから。

そして、その一部は現実に正しかったことも理解している。しかしそれは飽くまで結果的にそうなったにすぎない…それでも私はそう思うのだ。感情にまかせて先急いだ果てに、必ず良い結果が待っているとはどうしても思えない。最後は冷静に事態を俯瞰できる者が解決への道を見出すはずだ。

一部で言われるように民衆の声を集結したとしても、日本では少なくとも「ジャスミン革命」などは起きない。宗教の背景が違い過ぎる上に、たとえ疑惑は目白押しであっても…少なくとも、今日の日本においては(発言を機に仕事を奪われた当等…異論は多々あろうが)広義の解釈において、一般市民への言論弾圧などはないのだ。それを、所詮影響力のない者への弾圧はない…と曲解してくれても構わないと思うが…



あえて言うなら、独裁政権下や一党独裁の元でこそ「ジャスミン革命」は起こる。現代社会の主流は自由競争と多数決がルール、それが日本も含めた先進国、議会制民主主義国家の大原則だ。そして大多数の近代国家はその道を選んだ。格差社会とは裏腹でも、それが最も合理的な道だと判断したからにすぎない。主観的に見た善悪に偏りはあっても、我々は社会(我々の選んだ代表者)が決めたルールに従うしかない。それが現実だ。理想だけではもはや誰も生きられない。

言論と言えば…私は平常時から政治的なツイートだけは極力避けるようにしてきた。これほど好き嫌いが先行し、一致を見ることの出来ない分野も他にないと思うからである。政党によっても、派閥によっても、そして個人においても…さらには扱うテーマにおいても、我が身と一致する価値観を持った他人が存在するはずもない。

そして価値観の違いによる衝突は、互いが譲らなければやがて炎上となる。私はネットの創生期から、幾度もそうした混乱を見てきた。むろん全ての分野がそれと同じ危険を孕んでいる。しかし政治にこだわる者の執着心はことのほか根深い。そのことを経験的に知れば(我慢出来る範囲においては)余計な小石を投げたくもなくなる…のが道理というものだ。

むろん私自身は決してノンポリではない。ただ歳相応に生きることん学んでいると言っておきたいだけだ。それをどう解釈するかは受け取る側の自由だと思っている。だからと言うわけではないが、Twitterの私は、政治家を一人しかフォローしていない。今後のことはわからないが、今はそれだけで充分と考えている。さらに言うならば、その所属政党の政策は、必ずしも私の日常や老後に優しいものではないことも、あえて付け加えておくべきだろう(笑)。それでもフォローしているのは…おそらくストレートな理想主義が自分の肌に合うから…という理由だけだ。



(2011.06.12 昼下がりの睡眠; 小ユキ)


▼Twitterのフォローということ
前項でも述べたように、Twitterには様々な立場の人たちがいる。そして思い思いのことを呟いて構わないルールだ。フォロー、リムーブ、ブロック、いずれも自由とされる世界だから、気に入らない人の呟きを読まされる義務もなければ道理もない。選択は常に個人の自由に任されている。しかも原則は日本人の大好きな「匿名」という形で常に可能だ。しかし、そこにはやはり幾つかのジレンマもある。

例えばこういうことも言える。こと一つを特定の個人に限ったとしても、その個人そのものに「呟きの範囲」というものがある。つまりは「昨日気に入った発言」をしていた者も、今日になれば「どうかと思うような発言」を不用意に流し、明日は「全く意に反する発言」をするかもしれないのだ。往々にして、それは社会情勢の混乱度に比例して、起こりがちなことだとも言える。

そうでなくとも「ある分野では同意」できながら、また「異なる分野では不同意」かもしれない。そうした日々の葛藤の中で、正直なところ、ネガティブな発言ばかりを長く聞かされると、それは次第に閉塞感を伴ったシンクロを来たす。(少なくとも私はそう感じてしまう)



(2011.06.12 昼下がりの睡眠; ユキ丸)

簡単に言えば「リムーブ」することで、タイムラインから消去してしまえばよいのであるが、これまでの柵があると、なかなかそう簡単にもいかない。相手が非常に多くのフォロワーを擁してして、私個人が極めて目だ立たない存在(one of them)である場合には、それも可能だ。しかし、そこそこのやり取りを経て来たような相手については、なかなかそれも難しい。ものごとを比較的、ドライに割り切れる私において、そうなのだから、真面目であればあるほど、そうしたジレンマには誰もが悩まされるだろう。

総じて言えば、夢中でフォロワーとの関係構築を「増やすことだけ」を目的としているユーザはまだ幸せである。しかし(私も含めて)そうでない者も多い。また一般的な概念として、営業丸出しのツイートや、転載RTばかりで自分の意見のない者のツイートはつまらない。さらに言えば、紋切り型の「同種の分野ばかり連発」されることにも、次第にうっとおしくなる。例えば「動物を救ってくれ」ばかりを日々延々と繰り返し流されると…動物好きの私であっても辟易としてしまうことがある。

そうした中で、仮にも自分にとって、何らかのプラスになりそうなユーザを選んでフォローするようにはしてきたつもりなのであるが…震災以降、各自の視点の向けどころが極端に(被災地救済や原発に)偏ってしまったために、一時期は右も左もネガティブなツイートばかりで辟易とする…半ば憂鬱な日々が続いた。



(2011.06.12 夕食後の睡眠; 小ユキ)

最近は多少、それも持ち直して来た感があるものの、私に言わせれば「まだまだ」なのである。多くのツイートに「ゆとり」がない、落着きがない(それは私も…笑)、すぐにウワサや報道に鸚鵡返しに反応する。果てはデマでも何でも安易に拡散へと走る。

それについては、有名なユーザ(フォロワー数の多いパワーユーザ)でも例外ではない。さらに困ったことには、そうしたユーザがデマ拡散の根源となってしまうこともあるから余計に悩ましい。そうした立場のユーザには、それに相応しい「落着き」が必要なはずであるのに…ときには大人気なく考える前に走る…

この世界では「拙速巧緻」が、ともすれば先行してしまうために、自分自身が常に裏をとるところまで踏込まないと、ときに思わぬ失敗をする。だから少なくとも、自分自身が安易な発散の片棒だけは担ぎたくない…ここ震災以降の3ヶ月は、常にそうした思いと、一方で身軽な発言との鬩ぎ合いだった。

著名人や識者と言えども、その間逆の意見もあり、そのどちらにも条件付の利があり、条件付の不都合がある…今回ほど、ものごとの両面を自らが見極めなくてはならない時期もなかった。そうしたストレスには日々晒されていたことにもなる。むろん私だけではなく、多くのオンライン上で発言をす人々、あるいは黙してただ成り行きを見守る人々にあっても…それは大同小異だろう。

しかし、それでも発言しない限り、安全パイを引いていることは確かだ。一方で、それは何のプラスをもたらさないだけではなく、自らの意見を表明しないだけに、周囲のユーザにとっては疑心暗鬼を呼び込み、結果的にはマイナスとなっていることに気付いていない…そこが本質的な問題とも言える。今回の事態が少しでも早く収拾し、おおらかなツイートがタイムラインの主流となる日を待ち望んでいるのは私だけではあるまい。



(2011.06.12 夕食後の睡眠; ユキ丸)


▼日本への祈り
なお余談ではあるが…震災直後からTwitter上で#pray_for_japanという用語形式(ハッシュタグという)で検索をすると、様々な国の人々が日本へ向けた励ましのメッセージを発信していることがわかるようになった。最も速いときには秒速2-3Tweetsがタイムライン上を流れていたと思う。一度読んだメッセージを数分後に探そうと思っても、それは遥か彼方に押し出されてしまい、容易にキャッチすることさえできない。

それほど世界から発信される日本へのメッセージは多く、圧倒されるほどの量が流れていた。そして現在ではスローダウンしたものの、それは今も続いている。こうした現実と向き合う限り、少なくとも日本は孤独な国ではない。少なくともTwitterを通じて、我々は世界と個人レベルで繋がることが出来る。国家という…ときに融通の利かない権威の枠組みをも超越して…





閑話休題 | 04:01 | - | trackbacks(0)
東日本大震災当日午後の回顧録



(本文記事とは関係のない今朝の小雪丸 2011.05.21)


この震災からすでに2ヶ月以上が経過している。その間、別にブログネタがないわけではなかったが、何となく記事をアップすべきタイミングを逃し…ふと気がつけば今日まで来てしまった。震災のちょうど1ヵ月後となる4/11だけは、先代犬ユキの命日とも重なった偶然もあり、唯一ブログを更新したのだったが、それ以降は去る5/14の更新まで長い長いブランクとなった。(本稿は先日の予告タイトル「/椋凖日のこと」の改題である)


正直なところ…あまりに世間が騒然としていたことに疲れてしまったのかもしれない。私らしくもないことだが(笑)…だが一方で、ブログ更新を凍結している間にも、短いテキストだけの独り言ならTwitterを通じて日々流し続けてきた。 リアルタイム・メディアとしての在り方からも、それは震災の直後からずっと続けていた唯一の情報発信といえる。
(参考 kishudogのTwilog: http://twilog.org/kishudog




(本文記事とは関係のない今朝の小雪丸 2011.05.21)


今さらではあるが、特に震災当日3/11の行動に限って少しだけ振り返っておきたい。ただ、イザ書こうとすると、この日以降2週間ほどの特異点とも言うべき期間については、さまざまな要件が入り組んでおり、しょせん短い言葉ではまとめられそうにない。本当のまとめは、きっと多くの人がそうであるように…私もまた原発が沈静化し、被災地が落ち着いた後になって初めて可能なのだろう。ともかく本稿では、震災の起こったときのことから…


3/11…時計の針が間もなく午後3時に近づこうとする14:45頃、職場でPCに向かっていた時、突然、異様な揺れを感じた。私のいたのは、比較的底面積の大きな7階建ての2階で、そのせいだろうか。小さな住宅で後に聞かされたような「下から突き上げるような揺れ」 ではなかった。それは最初は静かに横揺れから始まり、そして次第にその揺れ幅が大きくなって行った。


誰かが「ヤバイ!」と叫び、数人が机の下にしゃがんだのも、ちょうどそのとき。私はそれでも、まだ座席に座ったままであったが、横揺れは次第に上下動も伴うようになった。これは確かに東京で感ずる揺れとしては最大クラスだ…そう思ったときに、突然、同じフロアの一角で「ピーピー」と警戒音が鳴り響いた。その音は揺れと共に鳴り続ける。そして、20秒ほどで?いったん揺れが収まりかけたとき、館内アナウンスで「出火により防火装置が作動しました」「速やかに屋外に避難してください」と避難勧告が流れた。


結論を言えば(どうやら火災ではなく)消火スプリンクラーの誤動作によって、放水が始まり、それと連動して延焼防止の防火シャッターが全て降りてしまったようだ。 それで、我々も降りたシャッター脇の避難用扉から室外に出て、階段を下りて、屋外(今回は中庭に相当する広場)に出た。ほぼ全員がそのようにして、(比較的整然と)屋外に逃れ、しばらくはそこで成り行きを見守ることになったのである。




(本文記事とは関係のない今朝の小雪丸 2011.05.21)


近隣の公衆電話で電話をかける者も多く(そのときはすでに携帯電話の通話は不可)そうこうしながら10数分を過ごすうちに、早くもJR各線が全て運行を停止したとの情報がもたらされた。一言でいえば、あとは自主解散である。安否確認が緊急メールでできるという前提において各自の判断は「会社近隣に留まるか」「駅に向かって復旧を待つか」「自力で帰宅を急ぐか」でよかった。だから私は…「迷わず徒歩で自宅を目指すことにした」…むろん途中でタクシーを拾えまいか?との淡い期待を胸に、ともかく幹線道路を自宅方向に歩き始めた。


時々かすかな小雨も降り始めそうな3/11の午後3時過ぎのことである。私の決断は誰よりも早かったと思う。なぜなら過去に一度だけ会社から自宅まで予行演習を兼ねて歩いたこともあって、早足であるけば40-50kmの行程を8-10時間で歩きとおせることも分かっていたから…初動の午後3時から、ひたすら歩き続ければ、少なくとも日付が変わるまでには自宅に戻れる。私には(身内の安否はむろんだが)大切な小雪丸がいる。そのためにも会社近隣に泊り込むような暇はなかった。


今回の揺れの大きさと、交通機関全面停止との報を受け、自己判断でも復旧は容易には出来ないことは明白だった。首都圏の交通機関は、このような事態での停止が一度起これば、(路線の)安全確認に膨大な時間を必要とする。おそらく復旧のメドがたつのは翌日だろう…つまり経験知からも、待っているような場合ではなかった。




(本文記事と関係のない連休中の小雪丸 2011.05.04)


今回思ったことのひとつ。携帯電話システムは脆弱で被災の直後から、もはや通話はできない。そして強固なのは従来の「黒電話」である。それだけは公衆電話から実家には通じたことからも明らかである。その後一時寸断もしたが、概ね最も安定した通話を確保できた。一方、光ネット関連の電話はダメだ。被災直後からすでに公衆電話からの要求にも反応がない。後にいったんエラーを出すとモデムを初期化(電源の再投入)をしないと復旧できないことも確認している。
(だから黒電話以外の固定電話が不通になった時には「モデム電源の再投入」が必要なことだけは記憶しておくべきだろう)


携帯からの通話はいずれに対してもダメだ。ただし通話が不可能なときでも、被災直後ならば電子メールは飛ばせる。ただしそれも早いほどよい。一定時間経過した後では、誰もが殺到するので、ネットワークが輻輳し、仮に飛ばせても大きなタイムラグを生じて大幅な遅延の後に相手にに受信されるという体験をした。つまり飛ばすならすぐに送信するほどよいことがわかる。


そして意外にもほぼ正常に使えたのがTwitterやmixiあるいはAmebaのようなSNS関連のメッセージや書き込みである。私も携帯のバッテリー残量を気にしながらも、常にその動向をモニタし続けていた。無線タクシーなどにも無駄と思いながらも繰返しアクセスしていたから、バッテリーの消耗も激しい…帰り着くまでは…そしてもし通話ができたときのために、残るバッテリー容量は少しでも温存しておく必要があった。


それでも自らTwitterには、幾度か現在位置を書き残したりもした。ワンセグは使わなかった。電源を著しく消耗するから…もっぱら情報はTwitterから得ながら歩き続けた。そうする間にもTwitterには、東北地方の崩壊の様子や、やがて激しい津波によって三陸が襲われ、車が大津波に流され、津波は川を逆流している…ことが多数、書かれ始めた。




(本文記事と関係のない連休中の小雪丸 2011.05.04)


少なくとも東京都内は(歩きながら幹線道路沿いの民家等を見る限り)目だった損壊は見られない。そのことが、私自身を「まだ壊滅的な被災ではない」と感じさせていた根拠だったが、 Twitterから流される情報は、その想像を遥かに上回っていた。関東はまだ軽く、東北の太平洋岸こそが最大の被災地となったことが、1時間もしないうちに次第にわかり始めていた。未曾有の災害が起きているのだと。


それは自宅にいる多くのTwitter仲間たちが、TVの映像やラジオ、ネットから得た刻々と変化するリアルタイムの情報だった。かつてこんな体験はむろん、私もネットの向こう側にいる人々も、大半はしたことがない…そんな時間が1時間、そして2時間…と流れて行った。タクシーは人を乗せて通過していくが無論、空車などはない。私は黙々と歩き続けた。(こういう時に同方向・相乗りという発想は日本人にはないことを今回ほど残念に思ったことはない)


2時間以上歩き続け3時間たってもなかなか自宅は近づいてこない。当然である。最短ルートではないものの、普段なら電車でも1時間15分ほどをかけて通勤している距離の会社だ。徒歩で…歩きとおすには相応の覚悟がいる。そうして全行程の1/3近くは歩いただろうか。3時間ほどで大田区〜目黒区を歩き通し、やがて世田谷区に入ったところで(まだ世田谷〜杉並〜練馬が残っていた)、突然、目の前にタクシーが停車した。何たる幸運…そう思いながら駆け寄ると、ちょうど1人の男性が降りるこころだ。すぐに運転席の窓を叩いて「乗りたい」意思を伝えた。




(帰宅経路:個人情報詳細を載せられないので概要のみ)


しかし乗車した後も道は渋滞している。目的地は練馬だから…運転手の判断で「まず環八から環七に抜ける」ことになった。しかし運転手の判断は間違っていた。途中からウンともスンとも動かなくなったので、裏道を走ってもらったのだが、一方通行やら何やらで、結局しばらくすると再び環八まで戻ってしまった。その間、1時間弱が経過している。この運転手、残念ながら、あまり状況判断が上手いとは言えなかった。


仕方なく徐行しながら、これまでの状況などを聞く。先客を乗せ杉並区走行中には鳥居が壊れているのを目撃したとも聞き、やはり今回の震災が都内に与えたダメージも決して少なくないことを知る。混雑した道にも関わらず、幾度も救急車や消防車のサイレンも聞こえて来る。 それまでは携帯電話でTwitterにつなぎ、何度か状況説明を確認する程度だったが、タクシーのラジオも、それと同じ惨状をもっと生々しく伝えていた。


巨大な津波が東北沿岸各地に押し寄せて甚大な被害をもたらしていること、石油プラントが火災を起こしていること、それ以外にも多数、火の手が上がっていること。東北広範囲に渡り壊滅的な被害が拡がっていること。映像抜きなだけに、まだ実感がわかなかった。それでもこれは現実なのだと思いながら…




(本文記事と関係のない連休中の小雪丸 2011.05.03)


そうしながら、やがて道も少しずつ流れ始め、環七にようやく入ったあとは、意外なほど順調に流れた(それでもむろん低速走行である)…そして、甲州街道を越え、目白通りを越えた頃には、どうにか普通の速度で走行していた。果たして、幸いなる哉…最終的に午後8時前には、どうにか無事帰宅できたのである。普段の帰宅時刻ともさほど変わらない時刻に…


そして自宅の損傷はなかった。となれば何はなくとも小雪丸の散歩である。慌しく短い散歩を至急済ませた。その間にも何回か余震の揺れを感ずる。やがて近所のコンビニで買い物も済ませ、ほっとした後に、充電を終えた携帯を再度ネットにつないでみると、何通かメールの着信がある。 そのうちの1通がご近所さんからのメールで(往復通信の後)、帰宅できそうにないので、愛犬の様子を見て欲しいとの依頼…


そこで食事の前に急遽、おっとり刀ではせ参じることになった。別に連絡がとれた知り合いの方も一緒である…(本件、事情あって詳しくは書けないので結論だけ書いておくと)… 当の愛犬はすでに、気をきかせたご家族の方によって「無事救出」されており、駆けつけた時はすでに散歩中であった。幸いなことに「結果良し」なのである。いずれにしても、こうした非常時には「先に帰り着けた方が配慮する」…そういった人間関係が日頃から何かあると心強い…改めてそう思った次第である。今回は私が先に帰り着き、助ける立場だったが、場合によっては逆のことだって、あるかもしれないのだから。




(本文記事と関係のない連休中の小雪丸 2011.04.29)


さて、ようやく少し落ち着くことが出来たと、TVのチャンネルを回せば、当然のことながら全てが被災地の映像を流している。私は帰宅中、Twitterでフォローしている人達の流す情報を読みながら歩き、そしてタクシーに乗ってからはラジオ放送に耳を傾けていたが、この時点で初めて、落ち着いてTVからの映像を目にしたことになる。 そこには本当に「パニック映画」の1シーンではないかと思われるような映像が映し出されていた。


自分が生きている間に、これほど広域的な災害が日本に起きるとは…正直、東海地震などの予測は幾度も聞かされていながら、やはりどこか杞憂にすぎない…そう思っている自分がいた。 あの阪神淡路大震災のときですら、わが身に投影して考えたことはなかった。しかし今回だけは、依然として続く大きな余震の中…「これが現実なのだ」…ただ、そう思った。 そして、この時点になっても携帯電話は依然として繋がらず、被災直後は使えた実家への固定電話も繋がらない。いずれにしても、電話は今回レベルの大災害には極めて無力であることもわかった。


教訓として得たのは、古い黒電話が最も強固だったという事実である。おそらく「黒電話同士」ならば、最も確実に連絡がとれたはずだ。 そして携帯電話は最も無力だった。通話は被災から5分後にはもう使い物にならない。携帯メールはまだ飛ばせたが、それも正常に着信できたのは被災から10分以内の発信のみで、30分以上経過してから飛ばしたものは、後に「忘れた頃になって」届いた。ネットワークの輻輳により、全くアテに出来ない機能となるのだ。


そして意外にも…最も有益だったのは、Twitterをはじめとするソーシャルメディアであった。こちらは終始どうにか接続できたし、一部のブログシステムも同様である。こうしたインタフェースで繋がりを持った人々とは、(直接被災地以外)終始連絡が可能だったことを改めて指摘しておきたい。ただし携帯電話などのバッテリー容量には限界があり、目的に適った「ゆとり」はなかった。万一繋がったときの通話に希望を託して、最低限度の残量は維持しようと考えたために、思う存分ネットを活用することも出来ず、残量表示を常に気にしながら、細々と使用していた…というのが現実である。




(本文記事と関係のない連休中の小雪丸 2011.04.29)


ともかく、こうして私の「長い午後」は終わった。午後3時頃に歩き始め、3時間あまりを歩き続け…2時間ほどをタクシーに乗車したことになる。全行程はおよそ「徒歩15km+タクシー25km」くらいだろうか…全部徒歩で歩き通せば、深夜に至ったであろうことは間違いなかった。そして私が、翌日の出勤を見合わせ、早急に自主休暇を決めこんだことは言うまでもない。


また一部は当日夜の散歩(さらに大半は翌日以降の散歩)で気付いたことであるが、近隣の民家でも、今回の揺れで、古いブロック塀、コンクリート塀などの一部は崩れ、そうでないものも明らかな亀裂を生じていた。多数の家が翌日以降はロープを巡らすなどして、復旧工事までの注意を通行人にも促していたが、業者手配もなかなかままならず、大方の修理が片付いたのは、1ヶ月半ほども経過していただろうか。 私の住む東京都練馬区は、それでも比較的地盤の固い場所に属し、周辺民家等での直接的な被害は(塀などの他には)殆ど見られなかった。それでも下町や湾岸周辺等では、地盤沈下や液状化現象など、多くの被災を受け、その後処理は今もなお続いている。

追記:この記事を書いている今日2011.05.21の東京都内は、もうすっかり初夏の陽気だ。日当たりのよい午後はエアコンを入れたいほどだが、節電のためにも我慢している。果たしてこの真夏はどうなるだろうかと…今からすでに思いやられる。
 



閑話休題 | 16:35 | - | trackbacks(0)
被災地の動物たちをめぐって



(本稿掲載の写真は全て本文とは無関係です。2011.5.7-10撮影)


本稿は昨日予告した記事のひとつ「H鏈卉呂瞭以のこと」の改題である。被災後の動物愛護活動についても、Twitterでの反応はあらゆるメディアの中で素早かった。
マスメディアがまともに被災地の動物について取り上げ始めたのは、すでに被災から1週間以上経過した後であったし、大方の動物愛護団体、そして個人も含めた動物愛護家と思しき人々のブログ更新も、この未曾有の震災直後は全く止まったままであったが…
このミニブログとも呼ばれる簡易的な短いテキスト主体の新しいメディアだけは違った。(Facebookやmixiも似たような状況だったと思われるが私は主にTwitterを使った)


日本にTwiiterが普及してほぼ1年…そこに初めての大震災が見舞ったわけだ。私にとってもTwitter自体がどのような展開を見せるかについては初めての体験だった。
震災の直後だけは、さすがに殆どのTweetが現状把握と被災そのものの悲惨さを扱うものばかりだったが、それでも3日目ぐらいになると、被災地の動物たちを気遣うTweetも多数飛び交い始めた。
(これ以降は特別の場合を除き動物または犬猫と書かせてもらうが、むろん牛馬他の家畜やその他小動物の情報も含まれていた)
しかし、こうして振り返ると、いかに動物…犬猫を愛して止まない人々にあっても、やはり今回ほどの甚大な自然災害の前には、まず被害状況そのもの、そして次に人間の安否…その次に犬猫っといったコンパニオンマニュアルへの関心が向けられるものだと、改めて悟った所以である。




(2011.5.8 早朝の散歩を終えた午前、穏やかな陽だまりの中で)


これまでにも何冊か戦中〜戦後動乱期の犬猫に対する扱いについて書かれた書物も読んだが…やはり極限的な状況下にあっては(悲しいかな)犬猫の扱いは抹殺されるか、あるいは逆に(犬などにとっては)国策として「国に差し出す」ことさえ求められ、そして誰も表立って異論を唱えることすらできなかった時代があったことも改めて思い出す。
大方の世論もそれを当然のことと受け止めるだろうし、そのような状況下にあっては(犬猫を思いやることが)逆に不謹慎と思う人々すら存在する。現代社会にあっては、そうした風潮もかなり変化したとはいえ、世間一般の常識はまだまだ前時代の域を大きく超えてはいないことを、動物愛護家の方々は知っておくべきだろう。
何をもって犬猫よりも人を優先しなければならぬか…むろん今日ならば、そうした思いに駆られる方も多数おられるだろう。だがしかし、それは時代が(動物の命を)思いやることを容認する時期を、ようやく迎えたからだ…ということもできる。




(連休後半は朝散歩をゆっくり過ごす習慣が定着した 2011.5.7)


かつて日本動物愛護協会附属の動物病院で長年院長を務め、現在も都内で診療を続けている前川獣医師(80歳)は以前よりこう語っていたと言う。(映画「犬と猫と人間と」より)
「戦後、人は衣食住足りて社会の安定があって、初めて動物たちのことを思いやるゆとりができるようになった」と。
その意見に私は全く同感する。動物愛護を健全に推進していくためには、やはり社会全体の安寧、そして動物愛護の精神が宿るだけの「ゆとり」を容認する「社会の成熟」が必要なのだ。
自らの生活が貧困に窮していたのでは(ごく一部の例外的な人々を除いては)犬猫の去就にまで思い巡らす人は主流たりえない。
今回、震災直後の僅かな「間」についても、やはりそれと同義の感想を持たざるを得なかったことを、私はあえて書き残しておこう。
むろん、それでもTwitterにおける反応は「想像以上に素早いもの」であったが…




(我が家の構造は「コの字型」で中央に小さな中庭 2011.5.10)


いずれにせよ震災から3日目くらいからは、被災地の動物の安否を巡って、様々な情報が飛び交い始めた。そしてその流れは福島原発の状況が深刻化し、避難勧告が出されるに至ってピークを迎えるのである。
被災地全域に対する生き別れとなった犬猫に関する問い合わせと、一方でそれを保護したという情報と同時に、最も多かったのが、後に福島原発、半径20キロ圏内に置き去りにされた犬猫の救出作業というテーマへと収束していく…(むろん原発地域以外の被災地における犬猫情報も多数あったが)
そして被災地以外の様々なボランティア…個人、団体、NPO法人等が動き出している様子もよくわかった。揶揄するような言葉遣いになって申し訳ないが、この非常時にあって、彼らは普段の「百倍の使命感」に燃えたことだろう。その熱い心境は、直接手を下さない私にさえよくわかった。




(この小さな中庭は小雪丸専用の遊び場でもある 2011.5.10)


そして寄付や義援金などの間接的支援にあきたらない人々が、次々と被災地へと向かい始めた。(おそらく3月末がピークであったと思う)そのことについては、部外者の私よりも各種団体のブログやHomePageを参照されれば詳細に振り返ることができるだろう。
まるで「出遅れることは不名誉なこと」とすら取れるほどの素早い行動がそこには見られる。彼らは「横も見て行動している」のだろうか…そのような団体ばかりではないと思いつつも、少し「斜に構える」と、そうした背景さえも見え隠れする。つまり今後のためにも「実績を残しておかなければならない」のであろうと。
いずれにせよTwitterでは、こうした動きも反映しながら、被災地の失踪犬猫に関する問い合わせ情報、そして一時保護情報が駆け巡った。それが大きなうねりとなって繰り返されてゆく。




(気候穏やかなとき小雪丸はここで寛ぐことが多い 2011.5.10)


そして同時に様々な団体からの支援物資の要請、あるいは寄付を募る声…そして国や地方自治体への救済を嘆願するようにとの拡散願い…さらには電子署名活動への賛同を募る声。
その一方で、国や自治体からは混乱を避けるため、軽率な被災地への殺到や、無計画な支援物資の調達送致を(現場での負荷軽減のために)自粛するようにとの要請も一部飛び交い…また個人的な現地問い合わせは、被災地の行政執務を混乱させ、最優先すべき現場処理を妨害する結果ともなるので、極力控えるよう自粛を促す声も上がった。
こうした状況下にあって、ごく一部の動物愛護活動家(個人)しか直接のコネクションを持たぬ私は、少なくとも義援金・寄付金や支援物資で応援するしか手段を持たぬわけだが…その選択にもやはり迷いを生ずる状況となる。
例えばAという個人活動家が、BというNPOと繋がりがあって、寄付や支援物資を要請している声を聞いたとする。本来ならばその声に応えてやりたいと思うところだが、私はそのNPOの実態を殆ど何も知らない…Aを信じて支援すべきだろうか?




(晴れた日は散歩後、隣接駐車場に小雪丸を放す 2011.5.8)


また同種の要請は全国各地で上がっているのである。応じていればきりがないことであるし、日ごろ交流のない団体に至っては、中にはサギまがいのものも含まれているかもしれず…そうした懸念は義援金等の委託先に関しても同様である。その結果がどのように反映されるかは保証されず、中にはNPOといえど(サギではないと仮定しても)非営利のはずが「営利隠し」の団体もあるかもしれぬ。NPO以外の団体に至っては言うに及ばずである。
そして今までにも幾度か書いたことだが、私は個人的にいかなる動物愛護団体にも属さず、今後もそうした組織に参加して活動する意思はないのだ。
そうなれば、寄付はいかなるNPOにも託さず個人的によく知る者にのみ直接託すか、あとは最も大きな「信頼筋」に託すしかない…(例えば以下のように:震災から10日ほど過ぎた3/24のツイートを引用する)

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動物関連の寄付は(何処に託すかを)正直迷われる方も多いだろう。私自身もそうだ。
そして「私はここを支持する」という情報もまた無責任に流すことには躊躇いを感ずる。
大きなところなら安心というものでもなく、草の根でも信用できる団体も必ずある。
ただその真偽の判定を誰に委ねるかが悩ましい…
posted at 16:43:10(2011.3.24)


先ほどの補足:ペットフード協会http://www.petfood.or.jp/Earthquake-disaster/も、
緊急災害時動物救援本部http://www.jpc.or.jp/saigai/とは連携している…
動物関連では大きな連携で、その活動も組織的に可能ではないかと
posted at 17:08:35(2011.3.24)
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簡単に言えば、大きな組織で信頼できそうな団体は上記と思われるが、日本獣医師会やペットフード協会など、日常的には「営利」である団体が名前を連ねている以上、単純に応じられないといった邪推も働く。
むろんこの非常時にそのような邪推は無用との考えも一方ではあったが…やはり私の場合は、このような混乱の中にあっても、そうした日常的な不同意が働くのである。狂犬病予防接種が未だに毎年義務付けられているのは獣医師会からの圧力によるものであろうとか、ペットフード協会の中には営利主義優先で、決して動物に優しいとは言えない製品を供給している企業も含まれているであろうこととか…




(ユキ丸はこの時期、新しい雑草を食べたがる 2011.5.8)


さて、Twitterにまた話を戻すと、こうした支援要請や関連情報の拡散要請の中にあって、最も多いものが、やはり犬猫の「探しています」「保護しました」といった情報…それをTwitterの特質を最大限に生かすのであれば、我々は通常、それを伝達価値のあるものと判断した場合に限り拡散することを行う。Twitterの用語ではそれをリツイートというのだ。
そのリツイートが今回の場合は回転が速く、予想外の問題を含んでもいた。つまり私自身が「犬好きな人」を多数フォローしているために、右も左も一様にそうした情報を流すのである。それを逐一リツイートしていたのでは、私はおよそ自分自身の意見を流す暇もなく、ただひたすら、それらの要請に従って、見るそばからリツイートを繰り返すだけの「リツイート屋」に終始することとなってしまう。
そこで申し訳ないが私は「原則」を設けた。以下のようなツイートを流すと同時に、リツイート(RT)の原則について「宣言」を行ったわけなのである。(ただし私のフォロワーの方がその後もこの宣言を記憶してくれていたかは定かではない)

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言い訳…私は自分も時々流すことがあるので、原則としてRTルールを決めている。
ー鷺犬の情報がTLに見えたら出来るだけRTする。
∧欷邯い量笋す腓錣擦蓮覆箸發くその犬はいま安全な所にいるのだから)パスさせてもらうことが多い。
Gに関する同じ問い合わせ情報は申し訳ないが愛猫家に託す。
posted at 17:39:18(2011.3.27)
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つまり私は「失踪犬にかぎり」リツイートを行うことに決めたわけだ。機械的で不本意ではあっても、愛護活動家でもない自分にとって出来る範囲は「そこまで」と判断したことになる。無論、原則であるから時には例外もある。それはそのときなってみなければわからない。忙しいときは拡散依頼を読み飛ばすこともあろうし、また一方で原則に反しても「猫の里親募集」をリツイートすることだってあるかもしれない。
いずれにせよ、この種の情報は非常に多くて、過去にも幾人かはフォローをはずした(これをリムーブという)方もあった。日々の拡散要請があまりにも多く、それだけがタイムライン(Twitterの画面の流れ)を圧迫するからである。ものごとには限度というものがある。私の日常は動物愛護を生業(なりわい)としているわけではないのだから…




(放された小ユキは何故か夢中で穴を掘る 2011.5.8)


そしてもうひとつ、今回のような目まぐるしく状況の変わる事態にあっては、この拡散(リツイート)という作業自体が、新たな問題を喚起する結果も招いた。その説明にはTwitterに関する「前置き」が必要である。Twitterには実は「公式リツイート」と「非公式リツイート」という2種類の方法がある。
公式リツイートとはTwitterのシステムそのものが実現してくれる機能で、もともとは自由書式のリツイートが(非公式に)ユーザ間に流行った結果を受けて(あとから)追加された機能だ。
この公式リツイートを使用した拡散情報は、システムがサポートしているので、オリジナルのツイートが削除されると、リツイートされた情報が多数あっても(何人がそれを拡散していようとも)そのオリジナルを参照していたリツイートが全て消滅する。すなわち、それ以降の情報が拡散され続けることがない。


一方で非公式リツイートとは、発信時に「RTまたはQT」の文字を先頭につけて書かれる自由書式のツイートのことだ。
つまり個々のユーザに発信後の管理は委ねられているために、オリジナル情報がどうなっても、リツイートした本人が「その後の情報がどう変化したか」を正しく把握していない限り、いつまでも一人歩きを続ける。だから、それを見た人がさらにリツイートを重ねると、オリジナル情報の有無に関わらず発散され続けることになる。つまり無効となった情報、あるいは間違いだった情報がいつまでも流れ続けて広がって行く。




(ユキ丸が草を食べる理由はどうやら胸焼けらしい 2011.5.8)


そのこと自体はこれまでもTwitterの中で指摘されていた。ただマナーの一環として「自分が拡散した情報の行方は責任をもつ」程度の解釈でよかった。
ところが今回のような震災がひとたび起きて、多数の「犬猫情報」がオンラインにあふれ出すと、そのリツイート数も半端ではないだけに、仮に失踪犬が発見され、もはや拡散の必要がなくなった場合でも、非公式リツイートは拡散を続けて(ある期間を過ぎるまでは)ネットからも消えない。
本来ならば、その情報は不要で、さらに新しい失踪犬情報にこそ、新たな目を向けなければならないのに、その存在すら目立たなくさせるようなマイナス効果を生む結果となる。こと動物愛護だけに限っても、そのような問題がTwitter上では新たに生じていた。そしてそれは今も続いている。


2012年の愛護法改正に向けて、動物愛護にはまだまだ実現すべき様々な課題がある。そうした重要な時期であるにも関わらず、こうして今回の震災は、それらに向けた動きを阻害する方向にも作用しかねないとの意見もある。すなわち未曾有の被災地動物を救うことを優先する余り、愛護法改正に向けたロビー活動もスローダウンせざるを得ないのではないかといった杞憂である。
しかし逆に言えば、今回のような未曾有の事態だからこそ、平穏な日常からは見えてこなかった様々な現実問題が噴出している時期だとも言える。そして今回の経験から生まれた教訓は、極めて説得力をもつ情報だろうと逆に考えることも出来よう。そう祈りたい。




(連休明けのはずだが私の連休はまだ続いていた 2011.5.9)


私たちにできることは、震災を通じて、より強く動物たちとの健全な絆を深め、そしてより現実的な動物愛護法の改正に向けて、欧米の動物愛護先進国に追いつき、追い越すきっかけを喚起することに尽きる。
少なくとも動物愛護については、まだ様々な問題が残され、その解決を待っているのが実情である。
そうした時代錯誤な認識については、たぶんこの後「タ椋勸奮阿僚侏荵」の中でも触れることになると思うが…本稿では時間もないのでこれぐらいにしておく。

 



閑話休題 | 01:06 | - | trackbacks(0)
久々の更新…震災諸説雑感


未曾有の震災から2ヶ月が経過した。その間いろいろと書きたいこともあったが、イザ書き出してしまうと発散して、収まりがつかなくなることも含めて懸念材料が多く、まだ定まらない今後の国策を気にしつつも、今日まで来てしまった。まだ本当の元気は出ないが、それでもそろそろ自分自身の総括は済ませて、今後への一里塚としたい。





前回のブログ更新は、ちょうど先代ユキの命日に記事を書いたのだから4/11…それがちょうど震災から1ヶ月のことだ。ともかく今後、何回かに分けて「震災以降のこと」を書き残しておくことにしよう。例えば以下のように…


/椋凖日のこと
⊃椋劼忙廚Δ海
H鏈卉呂瞭以のこと
た椋劼Twitterのこと
タ椋勸奮阿僚侏荵
Δ修隆屬硫罎家のこと


などについてである。順序は前後するかもしれない。また書きながら思うことも生じて来るはずであり、必ずしも上記の項目通りになるとは限らない。



,砲弔い討賄日どうやって帰宅したかについて回顧しておく。
△砲弔い討六廚Δ海箸多すぎて焦点を絞りきることが難しい。どうすべきだろうか?
については動物愛護団体の活動や被災地情報を振り返っておく。
い砲弔い討呂海譴眤心瑤謀呂襦2燭茲蠅發海2ヶ月間、Twitterだけは更新を続けてきたという背景もある。
イ砲弔い討枠超兇慮げ杏澆篝鬼歹住件にも新しい進展があった。そのことについても少し触れておきたい。
Δ砲弔い討肋雪丸や身内を含めた我が家の出来事…だろうか。





そして一番書きやすいのはい砲弔い討任△襦なぜなら多くのTweetの記録が私のTwilogに残されているから。ただし、この分野に関する思いは「他人との関わり」においても常に流動的なものだ。そうした部分に踏み込んでしまうと「是非論」「比較論」に終始し、何ら結論めいたことを書けない結果にもなる。

そこで極力「自分本位」に徹することで、いちおうの総括だけはしておくことにしたい。それを読まれてどう思われるかは「あまり考えない」ことにしておく。であるから、あるいはそれを読まれた方との「意識のギャップ」が、同意を得られないものとなるかもしれない…そう予めお断りしておく。それは「私自身の生き様」でもあるのだから…所詮、皆さんとは違うはずだ。



本日の記載はここまでとする。この記事は今後の更新に関わる「予告編」のようなものだ。そして何より、この週末も私にとっては普通の日常がある。そのことを少しだけ書き残して、この短い記事をアップしておくことにしたい。



ともかく、連休明けの1週間を終えて、ようやくまた週末を迎えることとなった。皆さんはこの1週間をどのように過ごされただろうか。私はこの1週間を「僅か3日の通勤」で過ごした。なぜなら私の連休は「12連休」という極めて長期に渡るもので…去る5/10(火)までが休日だった。

つまり私の通勤はまだ5/11〜13という3日間のみなのである。そのことは私のTwitterをご覧いただければわかる(笑)…それでも久々の通勤には、やはり多少は疲れた。だからこの週末もあまりガツガツしないで過ごすことにしたい。むろん今後の更新も緩やかなスパンで行う。決して無理はしない。



さて、今朝もゆっくりと近隣の城北公園を2時間ばかり歩いて来た。3日ほど続いた雨の後であるから久々の散歩日和で…挿入した写真は全て「今朝の小雪丸」である。

また、この2ヶ月間にそこそこ撮りためた記録は… 銑Δ竜事に沿って使用するつもりでいる。震災の話題とは直接関係しない挿画となるかもしれないが、それも致し方ない。

なぜなら私自身は被災地に赴いてはいない。被災地の惨状に心痛むことがあっても、少なくとも現実の私はボランティアではない…ただそれだけである。

 



閑話休題 | 11:45 | - | trackbacks(0)
ペット課税に思う



(珍しく寄り添って寝ている、左がユキ丸、右が小ユキ)


先週末のこと、2011年税制改正にペット課税を盛り込もうとする動きが報じられた。あくまで検討課題とのことであったが、多方面での反響もあったようだ。今回はそのことについて少し触れておきたい。したがって今回の掲載写真は、記事の中身とは直接関係がない(笑)


今回の報道に先鞭をつけた記事は、以下の読売新聞によるもの。全文をそのまま引用させていただく。


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民主党税制改正プロジェクトチームは26日、2011年度税制改正に向けた政府への提言案で、犬や猫などペットへの課税を検討課題とすることを求めた。

ペットの無責任な飼育放棄などが、行政による処分費用の負担など「負の連鎖」につながっているとして、「地方自治体による登録制を導入して課金も行うことなども含め検討を提言する」とした。

課税を通じてペットの適切な飼育を促し、税収を処分費用に充てることを想定している。民主党関係者は26日、「ペットは家族の一員という人が増えている」と述べ、課税には一定の理解が得られるとの考えを示した。ただ、ペットへの課税は今年度の税制改正論議で検討課題に上っておらず、11年度税制改正で実現するかどうかは不透明だ。

過去には自民党も、動物を飼ってもすぐ捨ててしまう飼い主を減らすため「ペット税」導入を検討したことがある。(2010年11月26日23時31分 読売新聞)
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記事中に「税収を処分費用に充てることを想定」と書かれている箇所には唖然とさせられるが、この内容には報道上の誤解があるかもしれない。むろん本来ならば「処分防止費用」として当てられなくてはならないはずの予算だ。このわずかな記事から今回の検討内容の全てを判断することも早計とは思うが、憂慮すべきことも多い。この報道をきっかけとして、そうした懸念の幾つかについて触れておきたい。




(城北公園、置き石の上、膝を崩している方が小ユキ)


もし本気で税制改正に盛り込むつもりなら、少なくとも「不公平感」のない導入を検討しなくてはならないだろう。簡単に言えば「正直者だけが馬鹿を見る」ような方法で実施し「取りやすいところからのみ徴収する」というような制度を導入すれば、必ず道を誤るということだ。


日本という国の実情を見てみるがよい。よほどの強制力をもった徴収方法を実施しない限り、今回の試みも上辺だけの制度に終わることは目に見えている。そもそも年金すら未納未加入のまま、自賠責なども平気で滞納し、公共NHK受信料など当然のごとく払わず、就学児童の給食費すら未払いの家庭が多々あるというような、最低義務すら不履行の輩が潜在的に多い国民事情があるのだ(極論かもしれませんが)。


そのような背景を何ら解消できぬ現状にあって、払わなければ済むような「抜け道」のある税制を導入するに当たっては、よほど慎重にやらなければ、正直者ですら背を向けたくなるに違いない。国民の理解にもむろん限度というものがある。


また、さらに重要なのは、どのようにして徴収するシステムを実現するのかということに尽きる。そもそもペットの飼育自体が、一部の業者購入以外は全て自己申告制だ。一例を犬に限れば、保健所登録も半ば任意。知己を通じてもらい受けたり、捨て犬を保護したりする場合に至っては、飼育実態など正直なところ闇の彼方だ。


保健所登録をすれば、狂犬病の予防接種通知が送られてくるようになるが、それすら反故にされていたとしても是正することすらできていない。ましてや、登録自体を意識的に行わない輩が多いとなれば、いったいどうやって彼らからペット税を徴収できるというのだろう。こうした飼育実態に網をかけることができなければ、その導入効果も押して知るべしである。






(今回は大きめのスナップで、上下どちらが誰ですか?笑)


あえて極論を述べれば、むしろ全ての給与所得者から、累進課税方式で「動物愛護税」のようなものを徴収すればよいのだ。むろん税率は低くとも、飼育頭数ゼロの者からは反論が出るに違いない。しかし、その程度の不公平感ならば、私自身に限ってみても枚挙にいとまがない。


子ども手当て、高速料金無料化、タバコ税高騰、果ては最低年金保障だと。全て我が家には、不利益のみで、何のメリットもない制度だ。その一方で財源確保の煽りを食い、所得増税、年金徴収増、果ては企業負担増の影響で、退職金や企業年金までもが確実に減額となる。言わせてもらえば老後の計画も大誤算なのだ(笑)


税金の徴収というものは、所得に応じた(いわば平等な)個人負担でなくてはならない。当然だろう。それをもし「安易に取れるところからのみ徴収」しようとすれば、国民の理解もとうてい得られまい。そして百歩譲っても、ベット先進国、欧米のような実態の把握と社会基盤が、そもそも日本にはまだないのだ。ペットに対する国民のモラルも依然として低い。


飼育実態に関してもそれは言える。いったいいつ飼い始めて、いったいいつ終了したことを適正に知るのか?動物の「ライフサイクル」を完全に追跡できるシステムこそ、真っ先に構築されるべきもので、それなくして適正な課税など叶うべくもない。現状では人間の戸籍すら正しく把握されておらず、年金台帳すら混乱の極みであるのが現実ではないか。それでどうやれば、ペットの実態までを把握できるというのか(笑)




(先週末のノーリード広場は幸いにして極めて静寂)


参考までに(少し古いデータになるが)犬の登録頭数と狂犬病予防接種に関する実態を参照しておこう。


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厚生労働省調査による2007年度の登録頭数は約674万頭、接種率75.6%だが、同年のペットフード工業会の全国調査による犬の飼育頭数は約1,252万2,000頭であり、これから割り出される未登録犬も含めた予防注射実施率は約40%と、流行を防ぐために必要とされるWHOガイドラインの70%を遥かに下回っている。(Wikipediaより引用)
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つまり狂犬病予防接種も、まだ過半数に満たないのが実情のようだ。しかも中途半端な法案を通せば、登録数そのものを抑止し、さらに実施率が低下する恐れもある。一方で、見方を変えれば、果たして毎年、この予防接種が必須かという点についても、本来ならば見直しが必要であるかもしれないのだ。発症率から見ても日本国内では皆無といってもよい。この件については、日本獣医師会の利権がらみの問題も含まれているようで、単純な安全管理面からだけの制度でもなさそうである。話が横道にそれるが、これは混合ワクチン接種などについても諸説紛々としている。

 

いずれにせよ、もし今回の税制検討案の骨子が以下のように安易な内容だったら、思いっきり政権担当者の無能ぶりを笑い飛ばしてやりたい。


最も容易な課税方法は、年一回義務付けられている狂犬病予防接種の通知に相乗りし、同時に予防接種料金にペット課税分を組み込んで徴収する方法だろう。これならば、従来方式の通知に新課税云々の1行を追加し、接種時に徴収する料金に導入分の追加料金を併せて払わせるだけでよい。


税率がドイツ並みとすれば、現在3500円ほどの予防接種代金が、いっきに4倍ほどに跳ね上がることになるので、多頭飼育の家庭にあっては相当の負担増となることだろう。また現行許可制度の下では、10頭以上は別途届出が必要なはずであり、その登録数も決して少なくはないと思われるが、果たしてどれだけの家庭がその登録義務を守っているかも疑問だ。




(城北公園を後にする頃、ようやく朝日が昇ってくる)


さて、今回またしても浮上したペット課税導入のニュースだったが、一部の方にとってはこのニュース、すでに過去にも幾度か浮上し消えていったという経緯をご存知のことと思う。参考までに以下の記事を引用しておく。


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自民党の動物愛護管理推進議員連盟は、犬や猫などの飼い主に課税する「ペット税」の導入に向けた議論を近く開始する。
動物を飼ってもすぐに捨ててしまう飼い主を減らし、ペットを取り巻く環境改善につなげる狙いがある。議連では、ペットを購入する際に一定額の税金を全国一律で課すことを想定している。

近年、ペットの飼い主が「飼うのに飽きた」などといった安易な理由で、ペットを捨てるケースが増えている。2006年度末時点で全国の自治体に引き取られた約37万4000匹の91%が殺処分され、社会問題化している。

環境省はペットの引き取り数を17年度末までに約21万匹に抑える方針を打ち出しているが、財政難にあえぐ自治体は十分な対策を講じる余裕がないのが現状だ。この自治体の対策費の不足分を補う財源として、ペット税が浮上した。

ペット税の税収は、以下の方向で検討する。
.撻奪箸隼瑤ぜ腓瞭団蠅砲弔覆る鑑札や体内埋蔵型マイクロチップの普及
⊆治体が運営する動物収容施設の収容期間を延長するための運営費
マナー向上の啓発運動費用

議連では、「ペット税導入には、動物愛護団体からも前向きな声が寄せられている。飼い主ばかりではなく、ペット業者にも『大きく育ち過ぎたから処分してほしい』といったモラルの低下が見られるという。新税導入で殺処分減少に効果があるかどうか、検討したい」としている。
(2008/12/28の2CHスレッド前文)
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要するに今回の話は、過去においても幾度か諮問された経緯がある。そういった意味では決して新しい法案の提示でも何でもないのだ。また出たか?今度こそ本当か?というのが率直な感想である。




(週明け月曜日の早朝、ようやく夜明け直後となった東の空)


また犬税という視点からは、しばしばペット先進国ドイツの例が引き合いに出される。要約すれば以下のような点に特徴がある。参考までに述べておこう。


ドイツでは(犬税が)地方税として導入されており、一般財源に組み込まれている。自治体によって税体系や金額に差があり、人口10万都市の例では1頭につき年間で1万円強ほど。複数飼育では逆に割高になり、犬種によっても(危険犬種は)割高になると言われている。しかし一方で、ドイツは動物愛護先進国としても抜きん出ており、殺処分数も極めて少ないはずだ。この殺処分の問題を抜きにして、ドイツ犬税の問題を語れないことも明らかだろう。


ともあれペット課税の導入問題は、その実施に様々な未解決問題を内在している。上記で述べたような様々なハードルをクリアした上で実施して欲しいというのが率直な感想だった。むろん課税自体は、無責任な飼い主の自覚を促すというプラスの側面はあるのかもしれない。しかしながら「ザル法案」をまたしても押し通すのか?との懸念も大きい。


改めて言うがペット課税の導入は、ペットの「ライフサイクル」と密接に関わる問題であって、決して切り離すことは出来ない。本来ならば「揺り篭から墓場まで」ペットと飼育者との関係を生涯チェックする社会的システムが必要なのだ。その実現は一朝一夕には成らないことかもしれない。しかし奥行きの深い問題であることだけは、十二分に熟慮して進めて欲しいものだと思うのである。


●追記(若干補足しておきます):

ペット課税には、まだまだ様々な考え方があると思います。本文には書き漏らしましたが、既存飼育状況を一切無視して、新規飼育のみに対して課税するという選択もあり得るでしょう。既存飼育との関連で見れば不公平と思われるでしょうが、その制度を10年20年と続けていけば、いつしか既存飼育に新規飼育が置き換わっていきます。それを待つという気の長い選択です(笑)

あるいは、既存飼育への課税は登録済みの飼育者に対して行い、一方で新規飼育者についても、初期導入手続の一環として課税する方法。しかし、この方法によっても、依然として不許可・未登録の飼育者については網羅しきれません。

ペット産業や、繁殖業者に直接課税するという方法もあるでしょう。その場合、当然のことながら、末端価格への影響が出ることは否めません。また認可された業者ならば、掌握も容易でしょうが、ブリーダーなどにおいては、不許可・未登録の業者も後をたちません。ここでも網羅性は崩れるでしょう。

ペット産業自体を狙い打つなら、商品に課税する方法も現実的です。つまりペットフードやグッズに課税するのです。その場合、消費税との重複にも何らかの配慮が必要でしょうね。以上、記事アップ後に、思ったことを書き足してみました(笑)

 



閑話休題 | 03:15 | comments(0) | trackbacks(0)
近隣で起きた全焼の火事

 

(畑を挟んだ至近30mから撮影した民家の火事)


昨夜の夕方、小雪丸の散歩中にふと薄暗くなった自宅方向の空を見ると、突然黒煙が上がっている。すごい勢いで周囲に広がり、家々の屋根を越えて真っ赤な炎までハッキリと見える。あの位置だと自宅にも非常に近いと、慌てて方向転換をして、小雪丸を引き立てながら帰宅を急いだ。


直近の十字路まで戻ると、民家の屋根を越えて道端まで火の粉が降ってくるほどの状況だった。帰宅するための路地はちょうど、消防車も到着したところで通れない。それでやむなく迂回することにして、畑を挟んで歩きながら、冒頭の写真を1枚だけ撮影した。以下は帰宅直後のTwitterへの投稿である。


 

●2010/11/03夜のツイート

小雪丸の散歩中に自宅方向から火の手が上がった。黒煙と炎まで見えた。慌てて2頭を引きずって自宅付近まで戻ると、道にまで火の粉が飛んで危ない。 http://photozou.jp/photo/show/459193/55462710
posted at 17:48:41


結局、火元は自宅から50メートルと離れていない近隣の家。ご近所さんへの延焼が心配なほど、風向きが変われば、我が家も危ない。いまようやく鎮火しそうだが、消防車が集まって騒然としている。急いで小雪丸を自宅に入れて引き返したときは野次馬の山。時折何かの破裂音もする。無茶苦茶驚いた!!
posted at 17:55:31


あの様子では、ほぼ全焼だと思う。野次馬にまざって消火活動の邪魔をしてもと、いまは自宅にいるが、最初に発見したときはサイレンの聞こえる前。火の手はあっという間に夜空を焦がした。そのスピードがとても早く、あっという間だった。小雪丸を連れて歩く道も危ない。火事は怖いと改めて思った。
posted at 18:01:55


出火から1時間以上たったが、鎮火確認や被害状況調査もあるのだろう。我が家のある1ブロックの周囲は侵入規制。消防車パトカー10台以上が停車中だ。 http://photozou.jp/photo/show/459193/55480196
posted at 19:35:11




(鎮火後1時間以上経過しても周囲は消防車だらけ)


唯一の救いは、最寄の消防署が非常に近いこと。通報すれば1分で到着可能な距離だ。このことだけは心強い。その代わり頻繁に出動のサイレンを聞かされている。普段はそれがとても煩い(笑)
posted at 19:51:59


●2010/11/04朝のツイート

おはようございます。昨夜は近隣の火事騒ぎでドタバタ。遅くまで赤色灯が点滅していたけれど、さすがに今は静かです。昨夜は火元まで50mと書いたが、よくよく考えてみれば直線で30mと離れていない際どい火事。もし風向きが悪ければ最悪。聞けば延焼1軒だという。幸い怪我人はなかったらしいが。
posted at 04:57:19

 


ともかく、暗闇の中で実際にこれだけ至近距離での火事に遭遇したのは、私も初めての体験である。火の粉が飛んで来る道に立ったのも初めての経験なら、消防車到着と同時に現場に立ったのも初めての経験。。。しかも野次馬の中に唯一2頭の犬連れである。混乱の極み。。。さらに延焼すれば自宅や身内の家屋も危ないという恐怖体験。改めて火事は怖いと思った。出火の原因は目下のところ不明だ。どうやら留守だったという情報もあり、そうなると漏電や放火の可能性もあるから、なおさら怖いと近隣では話している。


追記:今朝のニュースを検索したところ、すでに数件の報道がある。死者が出たとも書かれているようだ。亡くなられた方のご冥福を祈る。
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/201103039.html


 



閑話休題 | 05:49 | comments(1) | trackbacks(0)
秋の夜長に疾走紀州のYouTubeを!



(ベランダの内外で寛ぐ小雪丸。季節もすっかり秋らしくなった)



今を遡ること30年ほど昔の話になるが、1980年頃放映された連続TVドラマに「黄金の犬」、「炎の犬」(後に「太陽の犬」も)という紀州犬を主人公とした物語があった。ただし私はいずれのオンエアについても、当時は理由あってTVとは殆ど無縁の生活を送っていたものだから、その存在すら知らなかった。


だからそうした紀州犬ドラマの映像が、YouTubeで再現できることにも、最近やっと気付いたところだ。。。というような話を、昨夜のTwitterで流したばかりだったが、このところブログの更新がないことをふと思い出し、この際であるから、これら古典的な紀州犬ドラマの確認を兼ねて、YouTubeデータのご紹介をしてみようと思うに至った。したがって今回は久々に小雪丸とは直接関係のない話題である。


さて、YouTubeでこれらのシリーズ名を入れて検索すると、多数の登録データがあるが、いま入口と思しきデータは以下のURLだろう。。。

黄金の犬:
http://www.youtube.com/watch?v=5YtYI5McMM0

炎の犬:
http://www.youtube.com/watch?v=gaMcikk1OPs&feature=related


説明はこの後に続けるが、ともかく「秋の夜長」に、紀州の疾走する姿を充分に堪能できるドラマだ。筋書きの一部には若干の不自然さを禁じえないけれども、たまには、こうした映像に静かに見入るのも良い。以下の講釈は、いわば付け足しのようなものだ。それでは秋の夜長にYouTobeを!!

 


◆黄金の犬◆


「黄金の犬」には、西村寿行の小説(1977年-1978年発表)を原作として、鶴田浩二主演の映画(1979年)や、長谷川真砂美主演のTVドラマ(1980年)がある。いずれも、飼い主とはぐれた紀州犬が故郷を目指して旅をする同じ物語。そして広く知られているのは、このTVドラマのようだ。


1980年5月30日から7月25日まで日本テレビで放送(全9話)
製作:日本テレビ、オープニング曲「この夢の果てまで」


この1980年の作品が現在YouTubeで一番多く参照されているものだと思う。そして、この1980年のドラマをリメイクする形で「黄金の犬」は、その後も監督・俳優を代えてTVドラマ化され続けた。


1991年4月9日、テレビ朝日の火曜ミステリー劇場の枠で放送
2001年10月17日、テレビ東京の女と愛とミステリーの枠で放送


ちなみに、私はこの作品の映画版(鶴田浩二1979)のDVDを数年前に購入している。TVドラマ版については、まだ全てを視聴しておらず感想を述べる立場にないが、途中までは以下のYouTubeで視聴している(後半で紀州の疾走する雄姿が見られる)。



http://www.youtube.com/watch?v=5YtYI5McMM0


この物語の冒頭では、汚職事件の秘密を知った男が、その秘密を収めたマイクロ・フィルムを、紀州犬ゴロの首輪に隠したまま、北海道の山中で殺されてしまう。ゴロは帰巣本能だけを頼りに(男の妻が待つ)東京へと向かうのだったが。。。その道中で起こる様々な出来事を綴った物語だ。そして初代ゴロ役の紀州は、なかなか精悍でしぶい風格がある(笑)。


しかし、悪人が放った20数頭ものシェパード集団を、たった1頭で迎え打ち、全てを倒してしまうといった筋書きだけは、いくら紀州の猛者であっても「出来すぎ」だろう。せめて2〜3頭ぐらいとの闘いにしておけばよかった。。。


このように冷静に見ると、どうかと思う場面も多いのだが、細かいことさえ気にしなければ、紀州の疾走する姿は理屈抜きに美しく、溜飲の下がる思いがする場面も多い。

 


◆炎の犬◆


さて一方の「炎の犬」は、1980年にTVドラマ化された「黄金の犬」の続編として放映されたようだ。そして、翌1981年の番組データを参照すると以下のように書かれている。


1981年1月6日から同年3月31日の間、毎週火曜日に日本テレビ系で放送(全13話)
製作:日本テレビ、オープニング曲「サンセットメモリー」


この物語については、母犬ラン、息子のリュウ、2頭の紀州犬を主人公に、飼い主夫婦の悲劇と、その子供たちの活躍、犬と人間の厳しくも温かい愛情を描く。。。と紹介されている。


これが、現在、YouTubeで視聴できる動画として定着しているようだ。以下のURLから入ると、こちらは、いきなりオープニングから、素敵な親子紀州の疾走風景が見られる。



http://www.youtube.com/watch?v=gaMcikk1OPs&feature=related


オープニング曲、サンセットメモリー(杉村尚美)の歌声を背景に、ゆるやかなスローモーションで疾走する親子紀州。その併走する2頭の姿が美しい。ドラマの内容はともかく、もしこの動画の存在を知らない紀州好きの方がいたなら、是非一度、視聴していただきたい内容だ。画像が荒いのは残念だが、それでも一見の価値はあるものと思う。ちなみに、主人公のリュウ(成犬役)を演じたのは、あおい輝彦氏の飼い犬であったという。


ところで今、この原稿を書きながら調べてみたところ、このTVドラマ2作品は、年内にも新しいDVD商品として発売が予定されているらしい。ブログに取り上げようとして、初めて知ったことだが、偶然とは言えタイムリーな話だ。

▼黄金の犬 DVD-BOX(4枚組)発売予定日:2010年11月26日
▼炎の犬 DVD-BOX(5枚組)発売予定日:2010年12月24日

詳しくはamazonなどで検索してもらえば、版元や価格もわかるだろう。私もまだ充分に収集データを咀嚼していないので、手抜き情報のまま失礼させてもらう(笑)

 


◆太陽の犬(参考)◆


上記2件の紀州TVドラマから遅れること8年、1988年には秋田犬を主人公とした続々編「太陽の犬」もオンエアされていたことがわかる。以下がそのデータ。


1988年2月3日から3月23日の間、毎週水曜日に日本テレビ系で放送(全8話)
製作:日本テレビ、オープニング曲「眠れぬ夜を過ぎて」(野崎沙穂)?


ある刑事が麻薬密輸組織と内通した疑いをかけられたまま殺害されるが、その父の無実を信ずる中学生の娘クミは父の冤罪を晴らすために、秋田犬の愛犬ナナと共に、父の死の謎を追う旅に出る。そして大山、岐阜、飛騨、富士山麓へと、果てしない苦難の旅が続く。。。


調べた限りでは現時点で、まだDVD商品とはなっていないようだ。けれども「黄金の犬」「炎の犬」が相次いでDVD化されることから、順番で言えば次のDVDは「太陽の犬」かもしれない。是非DVD化してもらいたいものだ。何故なら、喜んで購入しそうな方がすでに何名か待機している(笑)。


それまではYouTubeで、その物語と秋田の雄姿をご覧頂きたい。



http://www.youtube.com/watch?v=7B2_ec8FEDM&feature=related



さて、こうして駆け足で3本のTVドラマをご紹介してきたわけだが、暑かった夏もようやく本格的な秋のシーズンを迎えようとしている。東京都内でも、今朝の外気はこれまでで一番涼しく、肌寒くさえ感じた。散歩コースの道も次第に落ち葉で覆われ始めている。つるべ落としのように日没も早くなって、これからの夜は長い。。。秋の夜長にYouTubeで、古典的な紀州犬ドラマを視聴してみるには、今がちょうど良い季節なのかもしれない。






(公園の雑木林も、すっかり枯葉落ち葉で秋の装いとなった)


きっとこのドラマを見終わった後には、わが愛犬たちのことが、それまで以上に愛おしく見えるはずだ。まして、あなたが紀州犬の飼い主であれば、ことのほか、そうした思いも強まるに違いない。むろん紀州犬以外の飼い主さんたちも是非に!(笑)


 



閑話休題 | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0)
強風倒壊現場


今朝の散歩で、二日ぶりに足場倒壊の現場を通った。当然のことながら修復されていたが、何か特別な補強がされたどうかまでは、わからない(笑)



閑話休題 | 08:16 | comments(0) | trackbacks(0)
ミクシィの中の紀州犬たち


(朝の散歩、いつもの公園、いつもの石の上、いつもの姿)


アカウントはすでにもっていながら、ほとんどまだ使用していなかったmixi(ミクシィ)。
確か先日のニュースでは、あと数日後、3月1日から「招待状がなくても登録可能となる」ことが報じられていた。だからというわけではないが「ミクシィ開国」前夜までに、せっかくもつアカウント内の整備をしておくことにして、この国内最大手のSNS(ソーシャルネットワークサービス)のあれこれを確認していた。

ところで、mixi内の参加コミュニティの一つ「紀州犬」には、なんと現時点で1188人もの登録者がいる。1700万人ものmixi参加者が国内にいればそれも道理か。
他のコミュニティを圧倒する数字で、少なからず驚いている。むろん、その数字の示す結果が全て活動中のユーザ数を表すものではないと思うが、それでも「1犬種だけのコミュニティ」で、しかも少数派とも言える紀州犬のそれとあっては、尋常ならぬ数字だ。トイプーやゴールデンや柴ならば、いったいどれほどの人数になるだろうか。まだ見てはいないが。。。(笑)

さて、このmixi内にも、やはり昨今の趨勢に従って「mixi版のTwitter」が存在する。>その名も「マイミクのボイス」。。。このボイスの基本機能もまた、Twitterのそれと殆ど同一の仕様にしたがっているようだ(ただしボイスでは、140文字ではなく150文字となっていて10文字多い)。





試しに少しだけ「つぶやいてみた」ところの画面(笑)。
さて、こうして、Amebaでつぶやき、Twitterでつぶやき、mixiでもつぶやくとなると、どうしても欲しくなってくるのが、つぶやきを同期させる機能だ。それが双方向であれば、もっとも好ましい。

ということで、昨夜、「tweet2mixi」という双方向転送サービスに登録しておくことにした。
http://tweet2mixi.appspot.com/

アカウントを作成し、とりあえず設定を済ませて、おいたのだが、目下のところ、まだ転送結果が出てこない(笑)。あせる必要もないから、しばらく様子を見て、それでも同期できないようなら設定を見直してみる。

この機能が動き始めれば、Twitterとmixiのボイスは、毎分ごとに互いの「つぶやき」を交換してくれるはずだ。つまり私は、どちらでつぶやいても、同じ結果を確認することができる。
この処理結果は、先日すでに使い始めた「twitter2mixi」による「TwitterからAmebaなう、への転送」よりも理想型に近い(twitterからAmebaへは単方向転送)。

いずれにしても、tweet2mixiとtwitter2mixiと。。。名前だけ見ても、ややこしい(笑)。実は私は当初、この2つのサービスを混同していた。名前から見ても紛らわしいだろう(笑)。


ともあれ、3月1日からのmixiオープンによって、国内最大のSNSへの登録ユーザ数もまた、さらに増加するに違いない。ちなみに昨年末の報告では、登録者数1700万人と報じられていた。この数字は、国内最大ブログサイト?と目されるAmebaの登録者数ですら700万人前後と言われている事実をもってしても異常に多い。

これだけのユーザ数、1700万人を擁しながら、なぜ今頃、mixiがオープン化に踏み出すのか?おそらくその背景には、昨年より日本語化を済ませた「世界最大規模のSNS>Facebook」の国内参入が影響している。mixiの1700万人は確かに多いが、一方のFacebookのユーザ数は、一説に5億人とも言われる(ちなみにTwitterですら2億人)。

こうして2010年は、SNSサービスの歴史にとっても文字通り「黒船襲来」となるか?世界規模のSNSに対して国内サービスの将来も確実に動き出そうとしている。興味津々、そうした思いから、mixiの中でも「つぶやいて」おきたい。併せて、これまでクローズドなサービスだったmixiが、どう変化していくかも見ものだ。


閑話休題 | 06:27 | comments(1) | trackbacks(0)
愛犬家はツイッターをどう使うか(続編)



(本稿とは全く関係ないが、某所「ピグ」では、とうとう3頭の紀州犬を飼育する事態に)


ツイッターの続編を報告フォローするつもりだったが、しばらく使うことで、また新しい事実がわかるのではないかと、少し様子を見ていた。
開始から、ほぼ2週間が経過したことになる。そこで改めて気付いたことも含め、今後の可能性についても触れておきたい。

まず前回の続きから書く。つまり、「フォロワーの多い人のつぶやきに返信するとどうなるか?」という宿題の解答から書いておきたいと思う。

答は「短時間で自分がフォローされる」である。
実際に、ソフトバンクの孫社長に、たった一回だけの返信、つまりReコメントをつけただけで、その1時間後には、2人のフォロワーがついた。ただし、その相手は、明らかに営業目的の、しかも好ましい内容ではなかったために、こちらからフォローを強制解除(ブロックという)させてもらった(笑)。
これはあくまで一例に過ぎないが、オープンな、つぶやきの場では、当然予想できたことで、何ら驚くようなことではなかった。
問題は、そのフォロワーの持つ内容ではなく、多数に支持されている、ユーザへの返信に対する反応の速さだ。

これは支持者の多いブログへのコメントと似ているかもしれない。けれども本質は明らかに違う。10万人、100万人規模の支持者をもつユーザへの返信という、「コメント付け」が与える波及効果と伝播速度の凄さという点において、しかも誰にでもそれが簡単にできてしまうことが自体が恐ろしい。

無論、こうした返信の多くは無視されるし、タイムラインの流れる速さ、すなわち、つぶやきの多さによって1時間を待つことなく、画面下に押し出されて、一般のフォロー先からは見えなくなる。なぜなら当のユーザ自身もまた多数のユーザをフォローしており、そのフォロー先のつぶやきも全て、彼の画面に流れているからだ。

一方、ツイッターに参加したばかりの初心者のフォロワーは普通、私のように極めて少ない(笑)。
しかも好ましくない営業フォローは、時折、確認の上、ブロックしてしまうから、あとは旧来からの知人と、「害のないフォロー」のみが残るのである。

この「無害なフォロー」がなぜなされたかは、説明のつくものもあるが、全くわからないものもある。そして、高々数人のことであるから、原則、私は無視することにしている。

つまり、こうした他者からのフォローに対する反応は、全て個人の判断に委ねられている。だからブログのコメント返しのように律儀に考える必要もないと、ツイッターのもつ不文律、いわば暗黙のルールに従うことにしているわけだ。

またフォロー自体も極めて動的なものだ。朝フォローされた相手が、夕方には消えていたことも少なからずあった。いったんフォローして、様子を見る場合もあれば、フォロー返しがないから解消した場合もあるだろう。ただ、間違いないのは、ツイッターの鍵は、やはりこうしたフォローの在り方が握っている、そう思われる点だ。

多数の相互フォローを好んで行えば、その情報共有の輪が拡がる速度は、ブログのそれに対して、百倍、千倍の流れを作り出すだろう。むろん、その中には好ましくない相手も含まれているかもしれない。全ては個人の責任に委ねられている世界だ。だから私は、少なくともまだ様子を見ている。

ただ、もし自らの活動に共感できる人々を探し、あるいは自らの悩みを誰かと共有したいと思ったとき、ツイッターのフォローが有効な手段となりうるということだけは確かだ。しかもそのコミュニケーションはリアルタイムで進行する。それが一番重要なことに思える。


さて、ツイッターの機能は、これまでに書いた「フォロー」があり、また一方の「つぶやき」に関しては、自らの投稿と、他者への返信、それに加えて「リツイート」(ReTweet)と呼ばれる引用の3種類がある。これらを使い分けながら、タイムライン上でのつぶやきは成り立ってゆく。

返信はフォロー先のタイムラインにそのまま表示される。したがって、多数の目にとまることを常に銘記すべきだ。顰蹙を買うようなことだけは避けるという常識も必要だろう。

リツイートについては概念が少し難しくなるが、端的に言えば、他者の良いつぶやきを自らの備忘録とし、あるいは自分をフオローしてくれる人にも、その情報を共有してもらおうとするときに役立つ。リツイートの記述形式は、慣れない向きには多少面倒くさい。引用先のユーザ名の前に「RT」をつけて、それが引用であることを表す。「RT」のさらに前には、引用に際し、自らのコメントを付加する。分からなければ、他人のリツイートを参考にすればよい。最新のツイッターの機能には、このリツイートをボタン一つでコピーする機能もある(ただしこの機能を使うと自らのコメントを付加することはできない)。

あとは自らの勝手なつぶやきである。これについては何ら制約もなく、あるのは140文字以内という字数の制限だけである。1回に140文字、もちろん足りなければ2回目のつぶやきを投ずればよい。ただ、この内容を多少とも有意義なものとする努力だけは必要だろう。「腹が減った」「眠い」「寒い」だけでは、自らもそうだが、他者への実りもまるでない雑音となってしまう。身内だけなら、それでも面白いが、オープンな世界に向けたつぶやきであることだけは、常に心の片隅にとどめておくべき心得だと思う。少なくともこの2週間で、すでにそのことはよくわかった。


ツイッターは従来のブログに比して、その表現力自体は極めてシンプルなものだ。けれども、そのシンプルさゆえに、様々な拡張機能が第三者によってサポートされていることも、次第にわかってきた。

その一番の理由は、ツイッター自身が、その仕組みの全てを公開しているからだろう。業界用語をあえて使うならば「オープンソース」の世界なのだ。だから技術力のある第三者が、次々と便利な追加機能を作り、提供し始めている。

例えば、一番ツイッターと親和性が高いとされるiPhone専用アプリがそうだ。ツイッターの使用効率が格段に向上する。Windowsに関しても同種のアプリがある。私はまだ試していないが、タイムラインを効率よく操作し、利用者のつぶやきを助けるだろう。

こうした基本的な機能に加えて、シンプルなデータを扱うツイッターならではの面白い機能(サービス)もある。例えば、Amebaやmixiにもツイッターと同じ「つぶやき」の機能が昨年末よりサポートされ始めているが、それは互いに独立したものであるから、両方を使うユーザーは、それぞれの場所で違うことを、つぶやく(笑)。

これはいかにも不合理なことであるから、私はかつて、Amebaの「なう」に対して(なうはAmeba版ツイッターのような機能)、「ツイッターへの同時転送はできないのか?」と質問を出したことがあった。けれどもその質問に対する回答は未だにない(笑)。

それでは、ということで、私は自分でツイッターの側から「なう」への転送をする機能がないかを調べてみることにした。すると、求める機能は、すでにちゃんとサポートされていることがわかった。小さな会社のようだが、しばらく身元調査などして、信用することにし、登録を済ませたのは、昨日のことだ。

参考:登録はここから、
http://twitter2mixi.cyberwave.jp/
(ただしツイッターおよびAmebaのアカウントとパスワードが共に必要)

その結果どうなったか?私がツイッターでつぶやけば、若干の時差はあるが、そのテキストはAmebaの「なう」にも反映されてゆく。その逆はまだサポートされていない。どちらを主体的に利用したくなるか?答は聞くまでもないことだろう(笑)。



(●私がツイッター側で、つぶやけば。。。)




(●しばらくすると、Amebaの「なう」にも、それが転送される)


一例をあげただけだが、こうした転送の利便性は、相手先を選ばないようだ。SNSの最大手サービスFacebookに対する転送も、探した結果、やはり同様にできることも知った。全てはオープンソースだから可能とできることで、ツイッターの身の軽さは、こうした点でも際立っている。

こうした利点を生かして、中には遊び感覚そのままのサービスも生まれているようだ。以下のサイトはその一例で「ツイットメーカー」と言う。完全なパロディ版だが、こんな屈折したアプローチも一方である(笑)。

参考:確認はここから
http://king-soukutu.com/twit/maker.php
(ただしツイッターのアカウントが必要)


そう言えば、ソフトバンクの孫社長にReを一度だけつけた結果について、書き忘れていた。

Reの内容は「Twitterと(SB社の)iPhoneの拓く将来展望は?」といった内容だったのだが、質問自体は、すでに誰かが発信済みと考えるべきであったし、当然、製品供給の展望として、孫さん自身もどこかに寄稿していたであろう「ありふれた質問」だった。それはある程度、私自身も承知の上でReを付けてみたのだったが(つまりテストとして)、大方の予想どおり、直接のReはなかった。

けれども数時間後に、彼自身のつぶやきの中で「Twitterの未来、著作権が個人の手に」(原文やや曖昧)という文言があった。これをして質問の答えとするにはやや弱いが、それでも他の同種の質問に合わせたコメントととれなくもなかった。あくまで推測の域を出ないことだが(笑)。

彼のフォローは、とても変化に富んだ「公人と私人」との切替えの妙が見られる。坂本竜馬に興奮したり、一方で禿げと揶揄されたコメントにも臆せず対応している(笑)。一方でむろん経営者としての決断についてもつぶやく。見ていてもバラエティに富んだ文言が楽しい。フォローに値する人物であると思った。その点、某首相のフォローは紋切り型でつまらないため、途中から解消した(笑)。

このようにフォローは、動的に動かすことで、初めてツイッターの利用価値も高まると感じている。これから利用する方があれば、是非そうした変化についても体験してみていただきたいと思うのである。


最後に、改めて「愛犬家の視点」から、ツイッターの可能性について述べよう。
ツイッターの威力はフォローにあると、これまでも述べた。これと併用できるのがツイッター独自の検索機能である。まだgoogleのように強力なパワーはないが、ツイッターのつぶやきならば、数秒前の登録データまでを抽出対象とすることができる。

つまりgoogleのように、「過去のデータ」ではないことが、最大の特長だろう。だから里親を探すつぶやきも、里子を求めるつぶやきも、それ自体を、フォロー者が多いユーザのタイムライン中に投ずれば、多数の人々の目に止まる結果となる。また、仮にそうしなくとも、意識的に有意なキーワードを、自らつぶやくことでも、返信がついたり、新たなフォロワーを得ることにも繋がるだろう。

自分の好む犬種を、ツイッターで検索してみるとよい。わずか一日の間にも、多数のつぶやきがあったことを知るだろう。ちなみに「紀州犬」で調べれば、たぶん私(kishudog)もそこにいる(笑)。




(2週間前のHC画面でちょっと古いが「紀州犬」検索をしたとき)


愛犬の病に悩んでいるならば、その病名で検索してみよう。同じ病に悩む愛犬家のつぶやきが、多数あることを知るかもしれない。

犬だけに限った話ではない。病に悩む人もまた、同じ方法によって、自分は今、決して「一人ではない」ことを知るに違いない。情報連鎖の可能性は無限であり、しかもリアルタイムだ。

だから最後に、このアドレスをもう一度記して、この記事を終わる。

● http://twitter.com/

登録は10分で終わる。そこから先は「2億人がつぶやく」世界だ。伝聞だが、ツイッターの開発者は、将来を見ながら、こう言っているという。
「10億人のユーザ数があれば、ツイッターは地球の鼓動(パルス)になれるだろう」と。



------------------------------------------
後からの追加情報:転送サービスについて


●twit2mixi

http://twitter.com/twit2mixi
にて、Twitter→Amebaなう、への転送を利用してると書いたが、このサービスは同時に、Twitter→mixi への転送も可能だ。1回の登録で2つのSNSに対する転送をサポートしている。
若干不満なのは、転送のサイクルが30〜60分と、やや冗長なことだろうか。
私が上記のサービスを利用し始めてまだ、やっと2日だ。だから、転送の安定性や時間差については、まだ状況のすべてを把握できたわけではない。


●tweet2mixi

さて一方、きわめて紛らわしい名前だが、
http://tweet2mixi.appspot.com/
というサイトでも、同種のサービスを提供している。現在は、Twitter←→mixi の双方向転送を可能としている点で、mixiに関しては一日の長がある。しかも転送のサイクルは1分単位と細かい。
このサービスでは、Amebaなう への転送は未サポートながら、近い将来、Twitter←→Amebaなう の双方向転送を実現してくれるかもしれない。

一方向ではなく、双方向での転送こそが理想であることは間違いないことだが、その機能の実装には、やはり、それだけの制約が伴うだろう。私自身にとって、最も必要としていたのが、この機能だったこともあって、本件に関する期待は大きい。無理をせず検討を重ねて頂きたいと思う>tweet2mixi


●笑い話

実は本日の昼間、およそ数時間にわたって、私はtweet2mixiの主催者と、メールやTwitter上でのやりとりをしていた。しかも私は、tweet2mixiのことを、一日前に登録したtwit2mixiであると誤解していたのだ。なにしろ名前が似ている。しかもサービスの内容も酷似しているとあっては、無理からぬことであろう(笑)
しかし夕刻になって、ようやくtweet2mixiから「kishudogによる登録情報がない」と聞かされるに及んで、はじめてそこで、自分が2つの良く似たサービスを混同していたことに気づいたのである。


私も迂闊だったが、向こうも(私のことを)自サービスの登録ユーザであると信じ込んでいたことが可笑しい。互いに気づかずに数時間が経過したことになる。事実が判明したときは、爆笑ものだと思った。それだけに、逆に妙な親近感が生まれた。だからというわけではないが、このあと近々のどこかで、ぜひ、Twitter←→mixi の双方向転送を登録利用させてもらいたいと、そう思っている。

3月1日からは奇しくも、mixiが招待状なしのオープンなSNSに変わるとアナウンスされている中、mixiへの双方向転送を試してみるには絶好の機会かもしれない。(笑)

以上、本日(2010/2/24)一番の「おまヌーな話」を補填して、この記事を終えたい。



●補足のさらに補足
この記事の「コメント」には、あとから追加したツイッターの機能「ダイレクトメッセージ」に関する「覚え書き」も残してある。時間のある方には、一度だけでも目を通していただきたいと思う。


 



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