<< 動画16本の大集合(笑) MAIN 飼い主急逝で残された紀州2頭 >>
犬に選ばれし者



(先に選んだのは私ではなく、ユキの方ではなかったか)


表題は「神に選ばれし者」の間違いではない。私は「犬に選ばれし者」と書いた。普通、人が犬を選んで飼い始めることはあっても、犬が人を選んで「飼われ始めること」はないと、そう考えておられるだろう。


犬には普通、飼主を「選ぶ権利」や「選択の余地」は与えられていないし、ただひたすら飼主が決まるのを待っているのみだろう。だが、改めて過去の出来事を振り返ってみるとき、皆様には「犬に選ばれた」と思うことはなかっただろうか?


先日「葡萄畑に犬がいる」と題した記事(http://dog.kishu.us/?eid=232)を書いた。先代犬ユキを保護したときのことを述べたものだ。私はあのとき「ユキに選ばれた」と、今でもそう信じている。それだけのことと思うかもしれない。だがそれが私にとっては、とても重要な出来事だった。
普通は九分九厘、飼い主が犬を選ぶ。犬が飼い主を選ぶことは出来ない。けれども、あのときの私は確かに、先に「ユキに選ばれた」のだと思う。その結果を受けて、私もユキを選び、そして我が家に迎えたのだ。


確かにユキが突然、私に従ったのは、私が怒鳴ったことによる恐怖のせいだったかもしれない。けれども、普通の犬の習性からみれば、人に対する態度を、一瞬にして180度転ずるような例を、私はまだ他に知らない。だから、あれは単なる恐怖ではなく、何らかの意思が働いた結果であると、いまでも固く信じているのだ。私はあのとき、確かに「ユキに選ばれた」のだろうと。


そして、選んだ犬と暮らす人と、犬から選ばれて暮らす人は、果たしてどちらが幸せだろうかと考える。常識では前者かもしれない。けれども、人と犬との「総和」で幸せを計ろうとしたとき、後者でなければならないと思う自分がいることも事実だ。




(ユキ丸(左)、おまえは私を選んでるかい?>わんっ!)


では、普通に「犬を選んだ」飼い主は、生涯「犬から選ばれる」ことはないのだろうか。そんなことはない。意識さえしていれば「犬から選ばれた」ことを知る機会もあるだろうし、また逆に、生涯を通じて「犬に選ばれない」ままの飼主もいるには違いない。それは犬にとっても人にとっても、極めて不幸なことだ。


そこで、こう考えてみたらどうなるだろうか。良い飼い主になる目的は「犬に選んでもらう」ためだと。それが可能ならば「相思相愛」であるから、両者の関係も、うまく行かないはずはないではないか、そう思うのである。いずれにせよ私は、ユキとの出会いによって気付いたことがある。それは、


「神に選ばれても、犬に選ばれても、人は幸福になれる」という摂理である。GODとDOGは回文の関係だから、とシャレてみることもできるが、滑ったジョークで顰蹙を買ってもつまらないので、それはそれとして、撤回しておくことにする(笑)。


そして、もう少し昨今のネット事情から、卑近な例を引いておくとするなら、こうも言えるだろう。選び選ばれるという関係は、TwitterやAmebaなう(あるいはmixiやFacebookなど)の「フォロー」に例えると、わかりやすいかもしれないと。


この世界では最初に必ず、どちらか一方が相手をフォローするが、フォロー返しがあるかどうかは保証されていない。また、ここでいうフォローを「支援」と翻訳してはいけない。あえて訳すなら「慕う」ぐらいの意味になるだろうか。


これを人と犬との関係に例えるならば、どちらからのフォローもないままの関係が最悪だ。つまり絆がないから、そこでは飼育放棄や虐待が起こるのである。


その次に来るのは、やはり、人が犬を先にフォローした場合だ。一見これは大切に飼おうとする関係に見えるかもしれない。だがしかし、人は犬からのフォローを受けていないのであるから、「犬に選ばれた」という自覚がないままに接している。


この状態は運が悪いと、人だけの身勝手な愛情に終始することにもなり得る。つまり自己都合の良い範囲のみで大切にはするだろうが、ひとたび家庭環境に歪みや不測の事態が起これば、犬を最優先することはもはやなくなる。里子に出し、あるいは厄介払いをするようなことも起きるだろう。そうした飼主の自己都合で、手放された犬たちが世間にはどれほどいることだろうか。


残る選択肢は2つ。一方は、先に人が犬をフォローし、後に犬もフォローを返せた場合だ。これは曲がりなりにも「相互信頼」の関係にあるから、周辺環境の変動ぐらいでは揺らぐこともあるまい。そして犬も幸せである。しかし所詮、飼主の幸せは「人並み」のものに留まる(笑)。




(小ユキ(右)、おまえは私を選んでるかい?>がうっ!)


そして最後の選択肢については、もう一度、表題の言葉に戻りたい。「犬に選ばれし者」つまり、先に犬が人をフォローし、後に人も犬をフォローしたときの場合だ。
God bless you!(いや正確にはDog bless you!なのかも)(笑)


この場合、飼主の幸せは、選ばれたところから始まっている。これに勝るものがあろうか?ローレンツの書を紐解くまでもなく、古来、人が狼に近づいたのでは決してなかった。狼が人の集落に、ある目的を持って近づいてきたのだ。そして、そこから狼の馴化を通して犬が生まれたとも言われている。その論理の妥当性をここで論ずるつもりはない。しかし、極めて理にかなったことだと思うのである。


まず先に犬が人を選んだ。古(いにしえ)からの人と犬との絆は、その時代から始まっている。それが人と犬とに共通する最も望ましい関係の記憶であったはずだ。


さて、皆様の犬は「いつあなたを選んだ」ことだろうか?自らの意思を持って愛犬を選んだと、当たり前のように信じてきたあなたも、いま一度、この単純すぎる人と犬との関係に、思いを馳せていただきたいと思っている。 


----- 飼主馬鹿独白(笑)-----

 



初代紀州 | 00:18 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
本等に・・・・そのとうりですね。

生きるものすべて相思相愛でなければなりません。

なのに、幸せもある分、不幸もある不条理な今の世のなか・・。

声上げることの出来ない仔.声あげても、届かぬ声・・
ちかごろ、
私の心が追いつかない・・。

ふと・・・私は
親に望まれしものだったのかな・・・と思いました。

もちろん、望まれました(笑)
でも、この世には、そうじゃない子もたくさんいます。
悲しいことです。
from: yukino | 2010/05/15 8:07 AM
>yukinoさん

そうです。相思相愛、相互理解。
Amebaの抄録記事のリコメント(このコメントのURLにリンク)にもすでに書きましたが、犬と人との関係は、
先入観だけで「私が選んだ犬」と思ってしまうと、一方的で身勝手な愛情になるから気をつけたい、
という思いが根底にはあります。
それをユキとの出会いに重ね合わせると、今回のような記事をアップするに至りました(笑)

むろん犬だけではなく、すべての生き物、そして人間の親子の関係にも当てはまる問題でしょうね。
ただ古来より犬は、他の家畜や、狩猟対象の獲物とも違って、自ら人間のそばで生活することを選んだ、
特殊な存在だったことも、今回の話の背景にはあります。
この部分だけは、犬独自の考え方だけに基づいています。

いずれにせよ犬との最も望ましい関係というものは一言では言い尽くせるものではありませんね(笑)
from: snowy | 2010/05/16 2:34 AM
コメントする








トラックバックURL :
トラックバック
COMMENTS
CALENDAR
<< December 2018 >>
SunMonTueWedThuFriSat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
PROFILE
SEARCH BOX

kishudog on Twitter
Follow kishudog on Twitter
小雪丸の本棚