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信州旅行記・総集編


(安曇野コテージのベランダにて、早朝散歩のあと)


携帯カメラで撮った写真で、6日間の旅行記を3回に分けて記事としたが、まだ簡易カメラで撮影した写真が現像されていなかった。スピード現像に出せば翌日にはプリントされていたはずだが、今回は勤務先最寄駅の量販店に依頼を出したために仕上りが遅く、週明けの月曜日となってしまった。このスピード時代にあって、気の長い話である。
プリントの他に、データはCDにも焼いてもらった。すでに携帯カメラのアングルと似たようなものも多いが、その中から10数枚ほどを登録しておきたい。いわば私自身の備忘録のようなものだ。






(安曇野コテージのベランダにて、夜に遊ぶ)




(安曇野別荘地周辺を散策中)






(安曇野コテージの中、小ユキは室内、ユキ丸は廊下に寝ている)




(八ヶ岳コテージの中。ここはベランダも室内も広い)






(八ヶ岳コテージの夜。小雪丸の後方には暖炉まである)




(八ヶ岳から蓼科に移動中。自然公園でちょっと休憩)




(八ヶ岳から蓼科に移動中。白樺林の中を歩く)


また以下の写真は、安曇野と蓼科の同じ場所で、2009年と2010年に各々撮影した写真を比較したものだ。一見、続き物のシリーズ写真とも見える。けれども、これら2枚の間には、ちょうど1年という歳月が流れている。風景も小雪丸も私も確実に、一つずつ歳を重ねた。
その違いが何もわからないところに、命というものが負って逃れられない宿命のような悲哀がある。気づかない間に忍び寄る「老い」とでも言おうか。。。




(2009/7/29安曇野コテージ前)




(2010/8/4安曇野コテージ前)




(2009/7/30安曇野散歩中)




(2010/8/6安曇野散歩中)




(2009/7/27蓼科女神湖畔)




(2010/8/9蓼科女神湖畔)


ユキ丸は小ユキよりも、聴覚も視覚も優れていることを、長年の観察で私は理解している。
実は今回の旅行先でも(安曇野の笹薮や八ヶ岳の雑木林で)ユキ丸が、じっと一点を見つめて動かなくなることがあった。普段は地面の臭いを嗅ぐ事に夢中のユキ丸だが、そのときだけは、彫像のように、じっと立ったまま動かず、顔をしっかりと前方に向けて、きっとした表情で一点を睨み付けている。横顔を見ると、微かに小鼻がヒクヒクと動いている。何かの臭いを方角も含めて感知しているらしい。レーダーのように方角と距離もわかっているかのようだ。






(蓼科コテージのベランダで寛ぐ小雪丸)


藪の中に何かが間違いなく潜んでいることが、ユキ丸の姿からハッキリとわかった。あたりは人影もなく森閑とした林の中でも同じようなことが2〜3度あって、ユキ丸の猟犬としての血筋を垣間見た気がしたものだ。

一方の小ユキは、そうした動作は殆どしたことがない。獲物を発見したときの戦闘能力はさておき、発見するという能力に関してはユキ丸の方が高い。主人がもし傍にいなければ、彼は吠えて教えるだろう。猟犬には2種類の役割があると聞いた。「止め」と呼ばれる獣に対峙しながら主人の銃撃を待つ役割の犬と、追跡し嗅ぎ出し主人に居場所を教える役割をもった犬のことだ。




(蓼科コテージのリビングは狭くて憮然としている?小雪丸)


私は(現代社会にあって)狩猟には、むしろ否定的な立場をとらざるを得ないと思っているが、小雪丸はペアで両方の資質を補う関係なのかもしれない。小雪丸を狩猟に使うなど、間違ってもありえないことだが、主人のそうした過保護な考えなど、当の犬たちは全く意に介していないのかもしれない。それが気質・本能というべきものなのだろう。
いいのだ小雪丸、我が家は、別に山野で獲物をとらなくても、食べていくには困らない(笑)。そして趣味で獣や鳥たちの命を奪う必要も私にはないから。




(蓼科女神湖畔。帰京前の散歩を小雪丸とする)


今回の旅を通じて、改めて思うことだが、犬たちと見知らぬ土地に迷うことは、ある意味で楽しい。むろん時間が許せばの話ではあるが。。。こうした「非日常的な体験」は、ある種の「ときめき」を感じさせるものだ。小雪丸の散歩という名目がなければ、私一人の山歩きもないだろうし、好んで道に迷うなど論外のこととも言えよう。

けれども、見方を転じてみれば「人生はいつも道に迷っている」。。。迷った末に出発点、すなわち原点に戻ることは重要なことで、こうした原点回帰の縮図を見るような気持ちになれるのが、小雪丸との迷走散歩なのかもしれない。人も犬も道に迷う。。。けれども必ず戻らなくてはいけない原点がある。きっと小雪丸との旅は、そのことを改めて知る機会なのだ。


終わりに今回の信州旅行を地図上にプロットしておく。最初に示すべきものが一番最後に来てしまった。小雪丸日記の不親切な一面を象徴しているかのようだ(笑)。




(8/4に東京練馬を出て、信州3拠点を巡り、8/10に戻るまで)

図が小さいので少しだけ説明を補足しておく。起点を東京練馬から始めて、反時計回りに関越〜上越〜長野〜中央と、高速で大きな円を描くルートだった。八ヶ岳と蓼科の部分のみ、これも小さな反時計回りの円を描いている。

拠点は2泊ずつ、安曇野〜八ヶ岳〜蓼科の3箇所をポイントとした(丸印)。宿泊したコテージ情報記載のURLは以下のとおりである。

8/4-5-6●安曇野わんパラ
 http://azumino.izumigo.co.jp/wanwan/
8/6-7-8●八ヶ岳わんパラ
 http://yatsugatake.izumigo.co.jp/wanpara/ya/index.html
8/8-9-10●蓼科わんパラ
 http://tateshina.izumigo.co.jp/wanwan/


そしていま旅を終えて、改めて気付いたことが一つあると思った。それは単純なことだが、とても大切なことだ。




(2010/8/10 信州6泊7日の旅を終えた自宅で)

犬たちにもっとたくさん話し掛けよう。彼等はそれを覚えて経験を積む(屋外飼育ではそれが難しい)。旅行はそうした理解をさらに一歩先に進めるだろう。少なくとも小雪丸は、すでに旅行「りょこう」と言う言葉を理解しているはずだ。さらに言うならば「車で旅行」という、より複雑な言葉さえも(笑)。普通の犬ならば、生涯で200〜300は言葉を覚えるはずだ。できれば、その言葉に手話のようなゼスチュアを添えて話すべきだといつも思う。やがて歳老いて耳が遠くなることがあっても、視力がそれを補う。視力が衰えたときは逆に言葉が、それを補うだろう。

そして聴力も視力も共に衰えたときは?むろん飼い主が全ての機能を補うのだ。願わくば、その難しさを知るだけの長寿を、小雪丸には揃って迎えて欲しいものだ。いつか必ず来る老犬介護は大変かもしれないが、そのときに至る日々の続くことを、心から望んでいる。そしていつか、そのときがきても、今回得た旅の記憶が失われることはない。




(2010/8/11 帰京翌朝の散歩。久々に暑いので休憩中)


補足:忘れるところだった旅行中の動画を以下に追加しておく。八ヶ岳ドッグランで遊ぶ小雪丸の雄姿(笑)。AmebaVision登録。画質が荒くてスミマセン。


http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=2919470
(八ヶ岳ドッグラン:前半は元気に走り回る)


http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=2919469
(八ヶ岳ドッグラン:後半少しバテ気味となる)

以上で、旅行記全4部作(安曇野編・八ヶ岳編・蓼科編・総集編)の完結とする。根気よくお読みくださった方々、ありがとうございました(笑)。



旅行日誌 | 03:54 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
完結ですね。

トテモ、楽しく拝見いたしました。
from: yuki | 2010/08/17 8:07 AM
> yukiさん

ありがとうございます。
あちらも返信しました(笑)

from: snowy | 2010/08/17 8:35 AM
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