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被災地の動物たちをめぐって



(本稿掲載の写真は全て本文とは無関係です。2011.5.7-10撮影)


本稿は昨日予告した記事のひとつ「H鏈卉呂瞭以のこと」の改題である。被災後の動物愛護活動についても、Twitterでの反応はあらゆるメディアの中で素早かった。
マスメディアがまともに被災地の動物について取り上げ始めたのは、すでに被災から1週間以上経過した後であったし、大方の動物愛護団体、そして個人も含めた動物愛護家と思しき人々のブログ更新も、この未曾有の震災直後は全く止まったままであったが…
このミニブログとも呼ばれる簡易的な短いテキスト主体の新しいメディアだけは違った。(Facebookやmixiも似たような状況だったと思われるが私は主にTwitterを使った)


日本にTwiiterが普及してほぼ1年…そこに初めての大震災が見舞ったわけだ。私にとってもTwitter自体がどのような展開を見せるかについては初めての体験だった。
震災の直後だけは、さすがに殆どのTweetが現状把握と被災そのものの悲惨さを扱うものばかりだったが、それでも3日目ぐらいになると、被災地の動物たちを気遣うTweetも多数飛び交い始めた。
(これ以降は特別の場合を除き動物または犬猫と書かせてもらうが、むろん牛馬他の家畜やその他小動物の情報も含まれていた)
しかし、こうして振り返ると、いかに動物…犬猫を愛して止まない人々にあっても、やはり今回ほどの甚大な自然災害の前には、まず被害状況そのもの、そして次に人間の安否…その次に犬猫っといったコンパニオンマニュアルへの関心が向けられるものだと、改めて悟った所以である。




(2011.5.8 早朝の散歩を終えた午前、穏やかな陽だまりの中で)


これまでにも何冊か戦中〜戦後動乱期の犬猫に対する扱いについて書かれた書物も読んだが…やはり極限的な状況下にあっては(悲しいかな)犬猫の扱いは抹殺されるか、あるいは逆に(犬などにとっては)国策として「国に差し出す」ことさえ求められ、そして誰も表立って異論を唱えることすらできなかった時代があったことも改めて思い出す。
大方の世論もそれを当然のことと受け止めるだろうし、そのような状況下にあっては(犬猫を思いやることが)逆に不謹慎と思う人々すら存在する。現代社会にあっては、そうした風潮もかなり変化したとはいえ、世間一般の常識はまだまだ前時代の域を大きく超えてはいないことを、動物愛護家の方々は知っておくべきだろう。
何をもって犬猫よりも人を優先しなければならぬか…むろん今日ならば、そうした思いに駆られる方も多数おられるだろう。だがしかし、それは時代が(動物の命を)思いやることを容認する時期を、ようやく迎えたからだ…ということもできる。




(連休後半は朝散歩をゆっくり過ごす習慣が定着した 2011.5.7)


かつて日本動物愛護協会附属の動物病院で長年院長を務め、現在も都内で診療を続けている前川獣医師(80歳)は以前よりこう語っていたと言う。(映画「犬と猫と人間と」より)
「戦後、人は衣食住足りて社会の安定があって、初めて動物たちのことを思いやるゆとりができるようになった」と。
その意見に私は全く同感する。動物愛護を健全に推進していくためには、やはり社会全体の安寧、そして動物愛護の精神が宿るだけの「ゆとり」を容認する「社会の成熟」が必要なのだ。
自らの生活が貧困に窮していたのでは(ごく一部の例外的な人々を除いては)犬猫の去就にまで思い巡らす人は主流たりえない。
今回、震災直後の僅かな「間」についても、やはりそれと同義の感想を持たざるを得なかったことを、私はあえて書き残しておこう。
むろん、それでもTwitterにおける反応は「想像以上に素早いもの」であったが…




(我が家の構造は「コの字型」で中央に小さな中庭 2011.5.10)


いずれにせよ震災から3日目くらいからは、被災地の動物の安否を巡って、様々な情報が飛び交い始めた。そしてその流れは福島原発の状況が深刻化し、避難勧告が出されるに至ってピークを迎えるのである。
被災地全域に対する生き別れとなった犬猫に関する問い合わせと、一方でそれを保護したという情報と同時に、最も多かったのが、後に福島原発、半径20キロ圏内に置き去りにされた犬猫の救出作業というテーマへと収束していく…(むろん原発地域以外の被災地における犬猫情報も多数あったが)
そして被災地以外の様々なボランティア…個人、団体、NPO法人等が動き出している様子もよくわかった。揶揄するような言葉遣いになって申し訳ないが、この非常時にあって、彼らは普段の「百倍の使命感」に燃えたことだろう。その熱い心境は、直接手を下さない私にさえよくわかった。




(この小さな中庭は小雪丸専用の遊び場でもある 2011.5.10)


そして寄付や義援金などの間接的支援にあきたらない人々が、次々と被災地へと向かい始めた。(おそらく3月末がピークであったと思う)そのことについては、部外者の私よりも各種団体のブログやHomePageを参照されれば詳細に振り返ることができるだろう。
まるで「出遅れることは不名誉なこと」とすら取れるほどの素早い行動がそこには見られる。彼らは「横も見て行動している」のだろうか…そのような団体ばかりではないと思いつつも、少し「斜に構える」と、そうした背景さえも見え隠れする。つまり今後のためにも「実績を残しておかなければならない」のであろうと。
いずれにせよTwitterでは、こうした動きも反映しながら、被災地の失踪犬猫に関する問い合わせ情報、そして一時保護情報が駆け巡った。それが大きなうねりとなって繰り返されてゆく。




(気候穏やかなとき小雪丸はここで寛ぐことが多い 2011.5.10)


そして同時に様々な団体からの支援物資の要請、あるいは寄付を募る声…そして国や地方自治体への救済を嘆願するようにとの拡散願い…さらには電子署名活動への賛同を募る声。
その一方で、国や自治体からは混乱を避けるため、軽率な被災地への殺到や、無計画な支援物資の調達送致を(現場での負荷軽減のために)自粛するようにとの要請も一部飛び交い…また個人的な現地問い合わせは、被災地の行政執務を混乱させ、最優先すべき現場処理を妨害する結果ともなるので、極力控えるよう自粛を促す声も上がった。
こうした状況下にあって、ごく一部の動物愛護活動家(個人)しか直接のコネクションを持たぬ私は、少なくとも義援金・寄付金や支援物資で応援するしか手段を持たぬわけだが…その選択にもやはり迷いを生ずる状況となる。
例えばAという個人活動家が、BというNPOと繋がりがあって、寄付や支援物資を要請している声を聞いたとする。本来ならばその声に応えてやりたいと思うところだが、私はそのNPOの実態を殆ど何も知らない…Aを信じて支援すべきだろうか?




(晴れた日は散歩後、隣接駐車場に小雪丸を放す 2011.5.8)


また同種の要請は全国各地で上がっているのである。応じていればきりがないことであるし、日ごろ交流のない団体に至っては、中にはサギまがいのものも含まれているかもしれず…そうした懸念は義援金等の委託先に関しても同様である。その結果がどのように反映されるかは保証されず、中にはNPOといえど(サギではないと仮定しても)非営利のはずが「営利隠し」の団体もあるかもしれぬ。NPO以外の団体に至っては言うに及ばずである。
そして今までにも幾度か書いたことだが、私は個人的にいかなる動物愛護団体にも属さず、今後もそうした組織に参加して活動する意思はないのだ。
そうなれば、寄付はいかなるNPOにも託さず個人的によく知る者にのみ直接託すか、あとは最も大きな「信頼筋」に託すしかない…(例えば以下のように:震災から10日ほど過ぎた3/24のツイートを引用する)

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動物関連の寄付は(何処に託すかを)正直迷われる方も多いだろう。私自身もそうだ。
そして「私はここを支持する」という情報もまた無責任に流すことには躊躇いを感ずる。
大きなところなら安心というものでもなく、草の根でも信用できる団体も必ずある。
ただその真偽の判定を誰に委ねるかが悩ましい…
posted at 16:43:10(2011.3.24)


先ほどの補足:ペットフード協会http://www.petfood.or.jp/Earthquake-disaster/も、
緊急災害時動物救援本部http://www.jpc.or.jp/saigai/とは連携している…
動物関連では大きな連携で、その活動も組織的に可能ではないかと
posted at 17:08:35(2011.3.24)
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簡単に言えば、大きな組織で信頼できそうな団体は上記と思われるが、日本獣医師会やペットフード協会など、日常的には「営利」である団体が名前を連ねている以上、単純に応じられないといった邪推も働く。
むろんこの非常時にそのような邪推は無用との考えも一方ではあったが…やはり私の場合は、このような混乱の中にあっても、そうした日常的な不同意が働くのである。狂犬病予防接種が未だに毎年義務付けられているのは獣医師会からの圧力によるものであろうとか、ペットフード協会の中には営利主義優先で、決して動物に優しいとは言えない製品を供給している企業も含まれているであろうこととか…




(ユキ丸はこの時期、新しい雑草を食べたがる 2011.5.8)


さて、Twitterにまた話を戻すと、こうした支援要請や関連情報の拡散要請の中にあって、最も多いものが、やはり犬猫の「探しています」「保護しました」といった情報…それをTwitterの特質を最大限に生かすのであれば、我々は通常、それを伝達価値のあるものと判断した場合に限り拡散することを行う。Twitterの用語ではそれをリツイートというのだ。
そのリツイートが今回の場合は回転が速く、予想外の問題を含んでもいた。つまり私自身が「犬好きな人」を多数フォローしているために、右も左も一様にそうした情報を流すのである。それを逐一リツイートしていたのでは、私はおよそ自分自身の意見を流す暇もなく、ただひたすら、それらの要請に従って、見るそばからリツイートを繰り返すだけの「リツイート屋」に終始することとなってしまう。
そこで申し訳ないが私は「原則」を設けた。以下のようなツイートを流すと同時に、リツイート(RT)の原則について「宣言」を行ったわけなのである。(ただし私のフォロワーの方がその後もこの宣言を記憶してくれていたかは定かではない)

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言い訳…私は自分も時々流すことがあるので、原則としてRTルールを決めている。
ー鷺犬の情報がTLに見えたら出来るだけRTする。
∧欷邯い量笋す腓錣擦蓮覆箸發くその犬はいま安全な所にいるのだから)パスさせてもらうことが多い。
Gに関する同じ問い合わせ情報は申し訳ないが愛猫家に託す。
posted at 17:39:18(2011.3.27)
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つまり私は「失踪犬にかぎり」リツイートを行うことに決めたわけだ。機械的で不本意ではあっても、愛護活動家でもない自分にとって出来る範囲は「そこまで」と判断したことになる。無論、原則であるから時には例外もある。それはそのときなってみなければわからない。忙しいときは拡散依頼を読み飛ばすこともあろうし、また一方で原則に反しても「猫の里親募集」をリツイートすることだってあるかもしれない。
いずれにせよ、この種の情報は非常に多くて、過去にも幾人かはフォローをはずした(これをリムーブという)方もあった。日々の拡散要請があまりにも多く、それだけがタイムライン(Twitterの画面の流れ)を圧迫するからである。ものごとには限度というものがある。私の日常は動物愛護を生業(なりわい)としているわけではないのだから…




(放された小ユキは何故か夢中で穴を掘る 2011.5.8)


そしてもうひとつ、今回のような目まぐるしく状況の変わる事態にあっては、この拡散(リツイート)という作業自体が、新たな問題を喚起する結果も招いた。その説明にはTwitterに関する「前置き」が必要である。Twitterには実は「公式リツイート」と「非公式リツイート」という2種類の方法がある。
公式リツイートとはTwitterのシステムそのものが実現してくれる機能で、もともとは自由書式のリツイートが(非公式に)ユーザ間に流行った結果を受けて(あとから)追加された機能だ。
この公式リツイートを使用した拡散情報は、システムがサポートしているので、オリジナルのツイートが削除されると、リツイートされた情報が多数あっても(何人がそれを拡散していようとも)そのオリジナルを参照していたリツイートが全て消滅する。すなわち、それ以降の情報が拡散され続けることがない。


一方で非公式リツイートとは、発信時に「RTまたはQT」の文字を先頭につけて書かれる自由書式のツイートのことだ。
つまり個々のユーザに発信後の管理は委ねられているために、オリジナル情報がどうなっても、リツイートした本人が「その後の情報がどう変化したか」を正しく把握していない限り、いつまでも一人歩きを続ける。だから、それを見た人がさらにリツイートを重ねると、オリジナル情報の有無に関わらず発散され続けることになる。つまり無効となった情報、あるいは間違いだった情報がいつまでも流れ続けて広がって行く。




(ユキ丸が草を食べる理由はどうやら胸焼けらしい 2011.5.8)


そのこと自体はこれまでもTwitterの中で指摘されていた。ただマナーの一環として「自分が拡散した情報の行方は責任をもつ」程度の解釈でよかった。
ところが今回のような震災がひとたび起きて、多数の「犬猫情報」がオンラインにあふれ出すと、そのリツイート数も半端ではないだけに、仮に失踪犬が発見され、もはや拡散の必要がなくなった場合でも、非公式リツイートは拡散を続けて(ある期間を過ぎるまでは)ネットからも消えない。
本来ならば、その情報は不要で、さらに新しい失踪犬情報にこそ、新たな目を向けなければならないのに、その存在すら目立たなくさせるようなマイナス効果を生む結果となる。こと動物愛護だけに限っても、そのような問題がTwitter上では新たに生じていた。そしてそれは今も続いている。


2012年の愛護法改正に向けて、動物愛護にはまだまだ実現すべき様々な課題がある。そうした重要な時期であるにも関わらず、こうして今回の震災は、それらに向けた動きを阻害する方向にも作用しかねないとの意見もある。すなわち未曾有の被災地動物を救うことを優先する余り、愛護法改正に向けたロビー活動もスローダウンせざるを得ないのではないかといった杞憂である。
しかし逆に言えば、今回のような未曾有の事態だからこそ、平穏な日常からは見えてこなかった様々な現実問題が噴出している時期だとも言える。そして今回の経験から生まれた教訓は、極めて説得力をもつ情報だろうと逆に考えることも出来よう。そう祈りたい。




(連休明けのはずだが私の連休はまだ続いていた 2011.5.9)


私たちにできることは、震災を通じて、より強く動物たちとの健全な絆を深め、そしてより現実的な動物愛護法の改正に向けて、欧米の動物愛護先進国に追いつき、追い越すきっかけを喚起することに尽きる。
少なくとも動物愛護については、まだ様々な問題が残され、その解決を待っているのが実情である。
そうした時代錯誤な認識については、たぶんこの後「タ椋勸奮阿僚侏荵」の中でも触れることになると思うが…本稿では時間もないのでこれぐらいにしておく。

 



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