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里親志願時のトラウマ(1)



(ちょうど今、レイチェル・カーソン遺稿集「失われた森」(集英社文庫)を読んでいるところだ。カーソンは著書「沈黙の春」で環境破壊を告発し、動物愛護協会を支援する活動もしていた)


※なお今回の記事は、去る11月1日の登録後、いったん取り消したものをそのまま再登録した。今回の末尾には、再登録にあたっての補足を加えてある。


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ボランティアさんの元に戻されている「ハナちゃん」が、本日(予定どおりなら)、避妊手術を受けたらしい。今はただ、手術の無事と術後の経過が良好なことを祈るのみだ。我が家の2頭は去勢も避妊もしていないが、それでも今回の目的と主旨は理解できる。


だから、もちろん保護犬への施術に異論を唱えるつもりも毛頭ないけれども、私はこの問題については一種の「トラウマ」があるので、この機会に、そのことを少しだけ書いておきたいと思う。タイトルを(1)としているのは、里親志願のことを今後、何回かに分けて書くことになりそうだと判断したからで、それは、我が家の2頭が「里親として迎えた保護犬ではない」こととも関係している。


先代の愛犬、ユキをなくしたばかりの頃、某里親会主催の譲渡会なるものに出かけたことがある。ホームページの情報から、ユキに似た犬が気にかかっていて、その譲渡会で対面できるかもしれなかったからだ(結論を言うと、そのお目当ての犬は、当日来てはいなかった)。

ともかく、せっかく出向いたのだし、今後のこともあるから、その場で「登録」なるものをさせてもらうこととし、3ページほどあるアンケートに回答していったのだが、その中の1項目に、「譲渡犬の去勢・避妊に同意します。(はい・いいえ)」という記載があった。

それまでの記載内容は、すべて同意できるものであったし、その後の項目も概ね納得できる内容だったから、Yes/Noで答える項目には、すべて「はい」と記入したものの、なぜか、このとき去勢・避妊だけについては、そのまま素直に「いいえ」を選択して、受付のスタッフに提出した。
その時の気持ちを振り返ると、何ら大げさな「反対論拠」を持っていたわけでもなく、ただ単に、それまでの愛犬(ユキも含めて、ずっと以前の我が家の犬たちも)すべてが、去勢も避妊もすることなく飼ってきたという、その事実を元に(我が家ではそうして来たということを)素直に伝えておこうとしたに過ぎなかった。


ところが、提出したアンケートを受け取り、目を通していたスタッフ(女性)が、突然、声を荒げて怒り出したのだ。私は一瞬あっけにとられたが、理由を聞いてみると、その去勢・避妊に「いいえ」と丸を付したことが、大問題だと言う。
それはあくまで「アンケート」と書かれており、決して「同意書」ではないと思っていた私は、そのことも含めて、そう書いた理由を説明しようとしたのだったが、そのスタッフは、それを「去勢・避妊方針に対する反論」と受け止めたようで、いきなり烈火の如く怒り始めた。
2、3のやり取りの後、これはとても話にならないと感じた私は、その場で登録を取りやめることにした。譲渡会のような慈善活動の場で、周囲の関係者や、来客たちへの影響も気になったのである。それほど、そのスタッフの口調は感情的だった。


結局、登録は取りやめたが、募金箱に寄付だけは納めて、帰ろうとしていたとき(騒ぎをききつけてか)その会の主催者の方が来られて、少しお話をすることができた。そして、今回の同意云々について、ようやく冷静な会話ができたのだったが、主催者の方、曰く、「彼女も熱心さのあまり言ったことですから」と。そして譲渡会や保護活動の主旨を改めて説明しながら、私の話も今度はしっかりと聞いてくれた。いずれにしても私は、一回撤回してしまった登録の意思を、再度ひるがえすつもりもなかったし、「せっかく来たのに残念です」とだけお答えして、その場を辞するしかなかった。


その傍らでは、先ほどのスタッフが、保護犬たちのケージの真横に立ち、タバコを吸っている。屋外だったし、当時は今ほど嫌煙ムードも高まっていなかったけれど(そして私も喫煙者だったが)、その姿は決して褒められたものではないと思った。
なぜなら、手にしたタバコから出る「紫煙」が、直接、真横に置かれたケージの方向に流れている。それはないだろう、と内心思いながら、私はそのスタッフが「決して長続きしないだろうな」と感じた(いまもその里親会で続いていたら奇跡だ)。


その後、他にもこうした活動をしている方々と話す機会もあったが、いずれにも共通していることは、「忍耐強い方が多い」ということである。むろん憤りを常に感じながら、里親探しや保護活動を続けている以上、怒りの言葉が飛び出してくることもあたりまえだが、その場の感情だけで決めつけてしまうようなことは決してないように思う。
どんな場合でも切っ掛けを掴むためには、沢山の会話が必要だし、より良い結論を得るまでには、粘り強い説得も欠かせないはずだ。犬猫を相手にしているように見えても、結局は「犬猫を介在して人に接して」いるのだから。


ともかく、いまでこそ冷静に振り返れるが、当時は、その一回の出来事で「里親会とは、こういう所」という先入観を持ってしまったことは事実だ。そして、それは同時に「再び捨て犬を飼う」という目的のために必要な「選択肢」の一つをいったん「放棄した日」でもあった。
そして、いま言えることは一つ。いかなるルールにも例外はある、ということだ。むろん厳しい原則を設けることは必要だろう。そして厳しく審査してもなお、今回のハナのような事件は起きる。けれども、あのとき、もう少し柔軟な姿勢を示す「ゆとり」があったら、今の我が家には「別の犬」がいたかもしれない。


実はこの時期、こうして「里親になる」という漠然とした目的を、「あきらめ」に変えていく幾つかの要因が他にもあった。東京都・動物愛護センターにおける譲渡規約「人を噛んで捕獲された犬は第三者譲渡はできない」というルールも、その一つである。このいきさつもまた長くなるので、それはまた別の機会に触れたい。


いずれにしても、今日の状況から見れば、避妊を施されている犬の方が、里親に出会える可能性はより高まるだろう。感情論だけではどうにもならないことも、世の中には多数存在する。ハナちゃんの手術が無事に終わり、術後の経過も良く、温かい里親さんに出会えることを祈っている。

P.S. この原稿を転送した時点で、雨が降り出している。ハナの今夜の散歩は?術後の夜だけにやはり安静?今はそれが、とても気がかりである。


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▼再公開のための追記:
 
この記事は昨日アップした「里親志願時のトラウマ(2)」に先立つ前編である。そして書かれたテーマは、いわば「里親会批判」でもあることから、一部の方々の誤解を生むことを懸念し、いったん取り消していたものでもある。そして記事中にも述べたように、私にとって初めての里親会との出会いは、あまり心地よいものではなかった。
里親会や譲渡会の主催者の方々が、日々献身的な活動をなさっていることは十二分に理解している。だから、ごく一握りのメンバーの対応の悪さが、せっかくの里親志願者を排除してしまうようなことがあるのは極めて残念な結果だと思う。


そして、願わくば全てのこうした活動家の方々に言いたい。あなた方は口を揃えて「行政の融通のきかない対応の欠陥」を指摘するが、いま一度、謙虚な気持ちをもって、自らの対応にも「融通のきかなさ」がなかったかを見直して欲しいと思う。
時には杓子定規なルールに例外を認めることによっても、失われるはずの命を救うことができるはずだ。それが非常に難しいことは理解している。厳格なルールを適用しないことで、不適切な里親からは「出戻り犬」が発生する。いやむしろ、戻される場合はまだ良い方なのかもしれない。譲渡後の報告義務や追跡調査を徹底しない場合、里親自身の手によって、人知れず路頭に迷う犬さえも出てくる可能性がある。


そうした過ちを繰り返さないためにも、譲渡する側には「人を見る眼」を磨いてもらいたいと思うのである。保護するまでが活動ではない。保護した後にこそ、今度は「犬たちの命」を間に挟んで、「人の心を知る」という本当に難しい仕事が待っていると思うからだ。


私は、かつて里親会からの引出しを断念しているけれども、いまこうして、不幸な仔犬を生み出すこともなく、生涯飼育の意思を放棄することもない。去勢避妊を絶対の譲渡条件と頭ごなしに否定することさえなければ、少なくとも「もう1頭の命」が、生涯保証されていたという事実を、どうか心の片隅に留めておいて欲しい。


そして私にも、あのとき、もし本来の忍耐心と、粘り強く交渉する心のゆとりがあればと、悔やまれてならない。こうした活動にとって、最も必要なのは忍耐と、それを持続させる強い意思だ。それは譲渡する側にとっても、される側にとっても必要な条件であると、私は今回の出来ごとを通して確信している。

 



一期一会 | 05:56 | comments(1) | trackbacks(0)
コメント
記事に追加した補足について、さらに補足を追加しておきたい。

それは、譲渡規約の例外も、ときには検討する柔軟性がほしいという主張に関するものだ。

この主張を、私は必ずしも「去勢避妊」だけについて述べているわけではない。

単身者への譲渡は、日中留守がちになるからとか、本人が定職を持たず経済的にも不安があるからとか、里親志願を排斥したくなりがちな、あらゆる条件を前提としている。

むろん、複数多数の不適合となるケースは、即座に排斥すべきだろう。問題は、大方が条件を満たす中で、僅かな条件不足が認められるケースについて、慎重に事を運んでいただきたいと主張している。

たとえ、全ての条件を満たす里親であっても、生涯飼育を果たすとは限らないように、一部の杞憂が感じられても、最後まで約束を果たす人間も必ずいる。

この世に絶対的な保証など何ら存在しないという前提を踏まえて、その時が来たなら、どうか目の前の相手と真摯に向き合ってほしい。

最後には、人対人の力量が問われる問題だと思う。むろん、こんな話は、改めて言うまでもない方々も、私は何人も存じ上げている(笑)。

ただし、この話は「U里親会」の方々だけには、どこかで聞いて頂きたいと、今でもそう思っている。この1行を残すために、この追記は、あえて本文からはずし、コメントとした(笑)。

from: snowy | 2009/12/11 8:55 AM
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