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奇蹟的な出会い!



(中央の仔犬がユキ丸、たぶん生後26日目の写真だ)



自らが知る情報と、偶然目にしたホームページ上に書かれた言葉との間に、ふっと自分と何らかの関わりを予感するようなことはないだろうか?


小雪丸の2頭飼育を開始した2002年の暮れ(ちょうど今頃)、それまで数回ほど見たことのある紀州親子を扱ったページで、今まで気にもとめなかったテーマのリンクの中に「仔犬ちゃん」と書かれたページを見つけた私は、何気なくそのタイトルをクリックして、画面を開いてみたものだ。。。


このサイトは先代ユキの時代から、何度か訪れたことはあったものの、2002年6月から小雪丸と共に暮らし始めてからは、たぶん久々のアクセスだったと記憶している。


そのページのタイトルは「きしゅとれつのおへや」という。そしてこのホームページは、その開設者のご結婚によって、次第に更新されなくなり、現在はすでにデッドリンクとなってしまった。むろん、現在でも、ご実家にはご家族がおられるはずだから、主人公の紀州たちも大過なくすごせば、今も健在なのかもしれない。


この記事を書くにあたって、ちょうど一昨日アップした手段「削除されたHomePageを見たい」を、応用しておくことにした。つまり現在は存在しないWebページの「過去のアーカイブ」を表示してみようというわけである。それを適用した結果が、以下の長いURLである(ただし、かなり開くのに時間がかかるので注意)。

http://web.archive.org/web/20060116082712/kore.mitene.or.jp/~kiyoshi/mitene/top/all.htm


このページを開くと、大方のイメージデータは復元されないけれども、当時のフレームはそのまま再現することができる。そこから以下のように辿っていく。


左の「KANKOU」⇒「子犬ちゃん 14.03.31」


ここまでをクリックすると、このサイトの開設者の方が福井県勝山市のブリーダ宅に、新しく生まれた仔犬を見に出掛けたときの紹介記事が掲載されている。実は、この方の愛犬の1頭が、このブリーダ宅で7頭の仔犬を産み、そのうちの1頭を母犬とともに、当時このホームページで紹介していたのである。つまり母娘紀州の2頭飼育というわけだ。


さて、このタイトルには訪問の日付「14.03.31」と書かれていることにお気付きだろう。西暦に直すと、2002年3月31日を示している。次に当該ページに書かれた紹介文を読み進んでゆく。当時はむろん沢山の可愛い仔犬の写真を見ることができたが、今回のアーカイブでは、残念なことにわずか2枚の写真しか復元できていないようだ。。。


いずれにせよ、このページに書かれた言葉の中から、私は以下の2つに何かひっかかるものを感じた。


,母さんはまだ1歳だそうです
■蛙諭壁ぁ)兄弟姉妹です


そして2002年3月31日に撮影された、まだ一か月にも満たないであろう仔犬、
さらに訪問の舞台が福井県であったこと、


この4つの事実から私は何を連想したか?(笑)
この出会いに先立って、私は以下の事実だけを記憶していた。
それは、我が家のユキ丸の生い立ちに関する以下の情報である。


(豸い呂箸討蘯磴
∋鵤架今韻裡各同胎子
J^羝生まれ
っ太呼は2002年3月5日(6月8日に我が家に来た)


この僅かな符合が意味するものは何か?次第に湧き上がってくる期待感のようなものはいったい何だろうかと。。。そしてその日のうちに、私はそのホームページの開設者に問い合わせのメールを出した。これまでの経緯とユキ丸自身の血統書情報を添えたメールである。


ところが年末年始を過ぎても、その宛先からは何の返信もなかった。(世の中にはこうしたコンタクトを嫌う人種もいるのである)失望感と共に、それでもあきらめきれない私は、翌年の1月、再度、迷惑を顧みずとの断りを入れて、同じメールを送信した。。。すると今度は即座に返信がかえってきた。あとからわかったことだが、初回のメールは何かのミスで削除されてしまったか、不達となっていた模様で、当人は見ていなかったという返事であった。


その後のやりとりで、間違いなくその訪問先が、血統書にも記載されている住所で、訪問先のお名前も一致し、そこがユキ丸の「生家」であったことが確認された。しかも、相手の方は当日撮影した沢山の写真をCDに焼いて送ってくださるという、嬉しいおまけまでついてきたものだ(挿入写真はそこから選んだもの)。


こうして、現在の手元には、普通なら知りえないはずの、生後20数日のユキ丸の姿が残されたのである。先日「成長の記録(0歳から3歳半まで)」と題した記事の中で、一番幼い時の写真として紹介したものは、あくまで我が家においての「最古の写真」ということにもなる。


偶然とはかくも面白いものかと当時は思ったものだ。けれども、こうした僥倖は、ただぼんやりと眺めているだけでは決して舞い降りはしないものだと思う。自画自賛は少し恥ずかしいが、要は愛犬に対する愛情の深さがもたらした「天の恵み」だと思うのである。犬バカと言えば、それまでの話ではあるが(笑)。


さて、このページの作者マキさんは、今頃どこで何をされているだろうか?そして、紀珠と烈と名付けられた2頭の「母娘親子」紀州のその後は?共に今も健在であることを祈りながら、懐かしく当時のことを思い出している。
最後に、お元気ですか>マキさん、きっちゃん、れっちゃん!!(笑)

補足:冒頭写真の真ん中はユキ丸ですが、左右いずれかの♀は、以前、このブログでも紹介した姉さんの「もも」です。姉か妹かはわかりませんが、もう1頭の♀が、ここの実家に残ったと言われています。いつか福井のユキ丸の生家を訪ねてみたいナと思いつつ。。。



一期一会 | 03:04 | comments(1) | trackbacks(0)
里親志願時のトラウマ(1)



(ちょうど今、レイチェル・カーソン遺稿集「失われた森」(集英社文庫)を読んでいるところだ。カーソンは著書「沈黙の春」で環境破壊を告発し、動物愛護協会を支援する活動もしていた)


※なお今回の記事は、去る11月1日の登録後、いったん取り消したものをそのまま再登録した。今回の末尾には、再登録にあたっての補足を加えてある。


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ボランティアさんの元に戻されている「ハナちゃん」が、本日(予定どおりなら)、避妊手術を受けたらしい。今はただ、手術の無事と術後の経過が良好なことを祈るのみだ。我が家の2頭は去勢も避妊もしていないが、それでも今回の目的と主旨は理解できる。


だから、もちろん保護犬への施術に異論を唱えるつもりも毛頭ないけれども、私はこの問題については一種の「トラウマ」があるので、この機会に、そのことを少しだけ書いておきたいと思う。タイトルを(1)としているのは、里親志願のことを今後、何回かに分けて書くことになりそうだと判断したからで、それは、我が家の2頭が「里親として迎えた保護犬ではない」こととも関係している。


先代の愛犬、ユキをなくしたばかりの頃、某里親会主催の譲渡会なるものに出かけたことがある。ホームページの情報から、ユキに似た犬が気にかかっていて、その譲渡会で対面できるかもしれなかったからだ(結論を言うと、そのお目当ての犬は、当日来てはいなかった)。

ともかく、せっかく出向いたのだし、今後のこともあるから、その場で「登録」なるものをさせてもらうこととし、3ページほどあるアンケートに回答していったのだが、その中の1項目に、「譲渡犬の去勢・避妊に同意します。(はい・いいえ)」という記載があった。

それまでの記載内容は、すべて同意できるものであったし、その後の項目も概ね納得できる内容だったから、Yes/Noで答える項目には、すべて「はい」と記入したものの、なぜか、このとき去勢・避妊だけについては、そのまま素直に「いいえ」を選択して、受付のスタッフに提出した。
その時の気持ちを振り返ると、何ら大げさな「反対論拠」を持っていたわけでもなく、ただ単に、それまでの愛犬(ユキも含めて、ずっと以前の我が家の犬たちも)すべてが、去勢も避妊もすることなく飼ってきたという、その事実を元に(我が家ではそうして来たということを)素直に伝えておこうとしたに過ぎなかった。


ところが、提出したアンケートを受け取り、目を通していたスタッフ(女性)が、突然、声を荒げて怒り出したのだ。私は一瞬あっけにとられたが、理由を聞いてみると、その去勢・避妊に「いいえ」と丸を付したことが、大問題だと言う。
それはあくまで「アンケート」と書かれており、決して「同意書」ではないと思っていた私は、そのことも含めて、そう書いた理由を説明しようとしたのだったが、そのスタッフは、それを「去勢・避妊方針に対する反論」と受け止めたようで、いきなり烈火の如く怒り始めた。
2、3のやり取りの後、これはとても話にならないと感じた私は、その場で登録を取りやめることにした。譲渡会のような慈善活動の場で、周囲の関係者や、来客たちへの影響も気になったのである。それほど、そのスタッフの口調は感情的だった。


結局、登録は取りやめたが、募金箱に寄付だけは納めて、帰ろうとしていたとき(騒ぎをききつけてか)その会の主催者の方が来られて、少しお話をすることができた。そして、今回の同意云々について、ようやく冷静な会話ができたのだったが、主催者の方、曰く、「彼女も熱心さのあまり言ったことですから」と。そして譲渡会や保護活動の主旨を改めて説明しながら、私の話も今度はしっかりと聞いてくれた。いずれにしても私は、一回撤回してしまった登録の意思を、再度ひるがえすつもりもなかったし、「せっかく来たのに残念です」とだけお答えして、その場を辞するしかなかった。


その傍らでは、先ほどのスタッフが、保護犬たちのケージの真横に立ち、タバコを吸っている。屋外だったし、当時は今ほど嫌煙ムードも高まっていなかったけれど(そして私も喫煙者だったが)、その姿は決して褒められたものではないと思った。
なぜなら、手にしたタバコから出る「紫煙」が、直接、真横に置かれたケージの方向に流れている。それはないだろう、と内心思いながら、私はそのスタッフが「決して長続きしないだろうな」と感じた(いまもその里親会で続いていたら奇跡だ)。


その後、他にもこうした活動をしている方々と話す機会もあったが、いずれにも共通していることは、「忍耐強い方が多い」ということである。むろん憤りを常に感じながら、里親探しや保護活動を続けている以上、怒りの言葉が飛び出してくることもあたりまえだが、その場の感情だけで決めつけてしまうようなことは決してないように思う。
どんな場合でも切っ掛けを掴むためには、沢山の会話が必要だし、より良い結論を得るまでには、粘り強い説得も欠かせないはずだ。犬猫を相手にしているように見えても、結局は「犬猫を介在して人に接して」いるのだから。


ともかく、いまでこそ冷静に振り返れるが、当時は、その一回の出来事で「里親会とは、こういう所」という先入観を持ってしまったことは事実だ。そして、それは同時に「再び捨て犬を飼う」という目的のために必要な「選択肢」の一つをいったん「放棄した日」でもあった。
そして、いま言えることは一つ。いかなるルールにも例外はある、ということだ。むろん厳しい原則を設けることは必要だろう。そして厳しく審査してもなお、今回のハナのような事件は起きる。けれども、あのとき、もう少し柔軟な姿勢を示す「ゆとり」があったら、今の我が家には「別の犬」がいたかもしれない。


実はこの時期、こうして「里親になる」という漠然とした目的を、「あきらめ」に変えていく幾つかの要因が他にもあった。東京都・動物愛護センターにおける譲渡規約「人を噛んで捕獲された犬は第三者譲渡はできない」というルールも、その一つである。このいきさつもまた長くなるので、それはまた別の機会に触れたい。


いずれにしても、今日の状況から見れば、避妊を施されている犬の方が、里親に出会える可能性はより高まるだろう。感情論だけではどうにもならないことも、世の中には多数存在する。ハナちゃんの手術が無事に終わり、術後の経過も良く、温かい里親さんに出会えることを祈っている。

P.S. この原稿を転送した時点で、雨が降り出している。ハナの今夜の散歩は?術後の夜だけにやはり安静?今はそれが、とても気がかりである。


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▼再公開のための追記:
 
この記事は昨日アップした「里親志願時のトラウマ(2)」に先立つ前編である。そして書かれたテーマは、いわば「里親会批判」でもあることから、一部の方々の誤解を生むことを懸念し、いったん取り消していたものでもある。そして記事中にも述べたように、私にとって初めての里親会との出会いは、あまり心地よいものではなかった。
里親会や譲渡会の主催者の方々が、日々献身的な活動をなさっていることは十二分に理解している。だから、ごく一握りのメンバーの対応の悪さが、せっかくの里親志願者を排除してしまうようなことがあるのは極めて残念な結果だと思う。


そして、願わくば全てのこうした活動家の方々に言いたい。あなた方は口を揃えて「行政の融通のきかない対応の欠陥」を指摘するが、いま一度、謙虚な気持ちをもって、自らの対応にも「融通のきかなさ」がなかったかを見直して欲しいと思う。
時には杓子定規なルールに例外を認めることによっても、失われるはずの命を救うことができるはずだ。それが非常に難しいことは理解している。厳格なルールを適用しないことで、不適切な里親からは「出戻り犬」が発生する。いやむしろ、戻される場合はまだ良い方なのかもしれない。譲渡後の報告義務や追跡調査を徹底しない場合、里親自身の手によって、人知れず路頭に迷う犬さえも出てくる可能性がある。


そうした過ちを繰り返さないためにも、譲渡する側には「人を見る眼」を磨いてもらいたいと思うのである。保護するまでが活動ではない。保護した後にこそ、今度は「犬たちの命」を間に挟んで、「人の心を知る」という本当に難しい仕事が待っていると思うからだ。


私は、かつて里親会からの引出しを断念しているけれども、いまこうして、不幸な仔犬を生み出すこともなく、生涯飼育の意思を放棄することもない。去勢避妊を絶対の譲渡条件と頭ごなしに否定することさえなければ、少なくとも「もう1頭の命」が、生涯保証されていたという事実を、どうか心の片隅に留めておいて欲しい。


そして私にも、あのとき、もし本来の忍耐心と、粘り強く交渉する心のゆとりがあればと、悔やまれてならない。こうした活動にとって、最も必要なのは忍耐と、それを持続させる強い意思だ。それは譲渡する側にとっても、される側にとっても必要な条件であると、私は今回の出来ごとを通して確信している。

 



一期一会 | 05:56 | comments(1) | trackbacks(0)
里親志願時のトラウマ(2)


(同じ敗戦国でありながら、日本とドイツではなぜ、かくも動物愛護の精神が異なるのか?この本を読むと、その背景がわかる⇒「ドイツの犬はなぜ幸せか」グレーフェ(あや)子 中公文庫)
※なお今回の記事は、去る11月上旬の登録後、いったん取り消したものをそのまま再登録した。


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この記事は、数日前に書いた「里親志願時のトラウマ(1)」の続編である。この種の記述は、一つ間違うと人間性そのものについて、誤解を招きかねない危険なものであるが、敢えて書き足しておくことにした。

ユキを亡くしてから、一ヶ月ほどたった(7年前の)ある日、東京都・動物愛護センターのホームページから、保護された犬たちの一覧(公開リスト)を見ていた私は、たまたま白い中型犬で、ユキと良く似た犬が保護されていることを知った。しかも、保護期間は残り数日しかない(7日過ぎると処分される)。

そこで翌日の午後、会社を早退して、世田谷区八幡山にある、その愛護センターに出かけることにした。何しろ当時の私は、「短毛の白い中型犬」ならば、何でもユキに見えてしまう精神衰弱状態にあった。今にしてみれば、ソックリというのも、多少割り引いて考える必要がありそうだが、当時としてみれば、一刻を争う大問題に思えたからだ。

常識をもって考えれば、世の中には、捨てる神もいれば、拾う神もいる。つまり「私だけが保護者候補ではない」といういうことだって言える。ところが当時の私には、冷静な発想は思い浮かばず、「あと数日で処分」という現実が、ことさら事態の急を告げているように思えてならなかった。
そして、予定どおり翌日の午後、私はその愛護センターの前に立った。正門の脇には、柵で囲われた遊び場のようなスペースがあって、そこには何頭かの犬が放されていた。後に聞くと「引取りを待つ犬」だと言う。

用件を告げると、中年の男性が案内に立ってくれた。事務所の裏手から階段を下ると、コンクリート床の大きな室内に入る。
中央には細い通路があって、左右は犬たちを収容しておく、複数の小部屋に仕切られている。仕切りは部屋同士の境界も、廊下側と接するの壁の部分も、全面強化ガラス張りの構造で、見通しを最優先して作られていることがわかった。

区分けされた部屋はたぶん8室〜10室はあったと思うが、その中の1〜7までに番号が振られ、それが収容期限を示す「日数」に対応しているという。つまり捕獲収容された日を1番目として、一日ごとに部屋を移動してゆく。そして7番目の部屋で一夜を過ごしたあとは、翌朝の車で処分場(記憶が曖昧だが、たぶん城南センター)に連れて行かれて、そこで最後を迎えるという。だが少なくとも当時、世田谷では処分をしておらず、私にはそれがせめてもの救いだった。

その大きな収容部屋を出て狭い通路をさらに奥に行くと、もっとずっと狭いケージ型の収容スペースがある。そこは確か捕獲してきたばかりの犬が、入れられると説明されたが、何しろ7年以上も昔のことなので、詳しいことは、よく思い出せない。

そして、大部屋の中ほどに位置するスペースに、その白い中型犬はいた。雌で二日ほど前に捕獲されたのだという。場所は確か荏原付近?ではなかったかと思う。
そして間近に見ると、ホームページの写真で見た印象とは、多少違って見えることにも気付いた。その一番大きな違いは、ユキよりも若干小柄であるという点だったが、むろんそのような違いが、引き取りたいという意思の邪魔をするはずもなかった。

私は来訪の目的を改めて告げ、規定の講習を受けた後に、その犬を引き取りたいと改めて申し出たのだったが、返ってきたのは意外な一言だった。「申し訳ありませんが、この犬を引き取っていただくわけにはいきません」 「この犬は捕獲されたとき、すでに人を噛んでいるので、第三者に譲渡することができないのです」 「つまり、飼主さんが見つかれば、お返し致しますが、それ以外の方にはお譲りできません」
そんなルールがあるとは、全く知らなかった私は、長時間食い下がったが、その係員の答えは「規則でそうなっています」の一点張りで、取り付く島もなかった。

そのときの長いやり取りを再現するのは、あえて省略したいが、「犬が人を噛むには、それなりの理由があるはず」という、私の反論も全く通じない。東京都の愛護センターとは、いったいどこが「愛護」なのか?保護するとは名ばかりで実態はこんなものか、とのやり取りを、思い出すだけでも腹立たしくなる。

1時間以上ねばった末に、ともかく出直すことを心に決めて、その日はセンターを離れた。帰路をたどりながら、「今夜のうちに忍び込んで盗み出そうか」とさえ考えたのは、あのときの心がいかに病んでいたかを想起させることでもあり、いまさらながらに、自分が怖くなる。「犬1頭を盗み出し一生を棒に振る会社員?」まったく洒落にもならない話だ。

ところがその翌日、出先からそのセンターに再び電話した私は、意外な事実を聞かされることになった。「あの犬は、ちょうどあの後、飼主さんが見つかったので、本日の昼前に引取りに来る予定です」
それは、あまりにもタイミングが良すぎる話ではないか?昨日の食い下がり方が、あまりにも執拗だったため、職員がそうして口裏を合わせているのだと、私が疑ったのも無理からぬ話であろう。

そして、その日の午後も私は二日続きで会社を早退し、センターに駆けつけることになった。しかし「作られた話の筋書」では、すでにその犬は引き取られて「いないはず」なのだった。そこで私は一計を案ずる。下校途中の高校生をつかまえて「アルバイト」を持ち掛け、愛護センターを偵察させることにしたのである。
まことに「危ないおじさん」そのものではないか。まるで一種のストーカー行為だ。だが、その高校生の男子は、多少不審な顔をしながらも、理由を説明した私の指示に従ってくれた。つまり「見学と称して偵察を行う」のである。その犬が本当にいなくなっているのかどうかを確かめるためだ。

そして偵察結果は改めて「いなかったと思う」と、彼自身の口からもたらされた。信じてよいものかどうか、ここが思案のしどころだと思った私は、そのあとさらにセンターに電話で確認を試みることにした。
ただし、電話をかけたのは世田谷ではなく、同じ都の城南センターである。つまり他の施設から、裏をとろうとしたわけだが、そこでも、くだんの白犬の顛末は同じ話を聞かされる結果となった。

それでもなお、口裏を合わせているのではないかと、疑いを捨て切れない私は、改めて世田谷のセンターに電話をかけ、迎えに来るまでの詳細を執拗に聞き出すことまでしている。
今にして思えば、異常ともいえる行動だったかもしれない。そして、最後には都知事宛てのメールまで書いた。むろん、第三者譲渡の制約について、見直しを求めたのである。ただし、この書簡が本当に都知事まで届いたかどうかは、保証の限りではない。事務レベルでファイルされただけ、と考えるのが妥当なところかもしれない。
また、都知事宛のメールと同時に、同じ内容を以下の非常に長い担当部門宛てにも送信している。
「東京都健康局地域保健部環境衛生課動物管理係」および、同局長宛てのメールだ。そして念のために書き添えると、いずれの部門からの返信もなかった。この結果が何を意味するものかを、本当はもっと考えるべきなのだろう。

こうして、里親会での出来事についで、公的機関からの譲渡においても、再び躓いた私は、また一つの「選択肢」を放棄するに至った。むろん他の犬を引き出すという道も、まだ残されていたはずだったが、もはや私には、それだけの元気もなかった。ユキの面影にこだわり過ぎたということもある。それが今となっては慚愧の極みだ。

終わりに今回の出来事の発端となった「東京都動物愛護相談センター」のURLを以下に示す。

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/douso/index.html

なお本題となった「収容動物情報」のページは、TOPページから入ったとき、非常に見つけにくいので、直行可能なURLも追記しておく。

http://www.taims.metro.tokyo.jp/eisei/syuuyoudb.nsf

見る度に痛ましくなるので、あまり行きたくはないが、それでも時々開いてしまうページだ。そして、このリストを見る度に心が痛むのは、今も昔も変わらない。さて、あの白い犬は、本当に無事飼い主の元に戻ったのだろうか。その思いだけは、今でも心の片隅にくすぶっている。(続く)


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一期一会 | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0)
その後のハナのサンタ服

 

(かわいいサンタに変身していた里親募集中のハナ)


去る10/31「ハナがシャンプー中」とのタイトルで記事を書いた、出戻りワンのハナちゃん。あれから一カ月の変化が一目でわかる写真が今日、ワンダーランドさんのブログに載っている。


http://wanwanderland.blog22.fc2.com/


これから年末、いずこも忙しくなると思うが、そんな中、先日来(ライル、子猫と)続けて里親さんのトライアルが始まっているのが嬉しい。
この勢いで、どうかハナにも素敵なクリスマスプレゼントがやって来ますように。


でもサンタの服を着せてもらった現在のハナは、きっとお店にとっても、幸せというプレゼントをもたらす「小さなサンタ」なのだろうな。。。やさしい笑顔を見せられるようになったハナの写真を見ていると、人間不信を修復できる犬たちの無常の優しさというものを感じる。人にあっては決してあり得ないことだと思う。その気持ちにふさわしい里親さんが、早く見つかるといいね>ハナ。。。

(またお写真1枚、無断拝借してしまいました。スミマセン>ワンダーランド様)



一期一会 | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0)
映画「犬と猫と人間と」を観てきた



(映画のポスターをオフィシャルサイトより拝借しました)

映画「犬と猫と人間と」を観てきた。私がこの映画の上映を改めて意識したのは、「富士丸探検隊(日経トレンディネット)」の記事を読んだときで、「観てみたい」と思いながら、ふと気がつけばその上映期限は目前に迫っていた。東京渋谷「ユーロスペース上映期限」ギリギリの飛び込みである。そして、制作スタッフの方々に敬意を表する意味も込めて、あえて具体的な感想を述べておきたいと思った。むろん、私は単なる「犬馬鹿」であって、映画評論家ではない。だから多少、間違った引用や、独断的な意見があっても、どうかお許しいただきたいと思う。また同時に愛猫家の方々に対しては、やや「犬寄り目線」であることについても予めお詫びしておく。

飯田基晴・監督作品「犬と猫と人間と」公式サイト
http://www.inunekoningen.com/
「動物と人間〜そのやさしさの距離(2009/10/28)」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/lcc/20090327/1025040/

上映された「ユーロスペース」は、定員70名ほどの上映室が幾つか集まった場所で、いわば「マイカルのミニチュア版」といった所である。渋谷駅で降りて、ハチ公前広場を通り抜け、道玄坂を200mほど登って右折した所にある。上映開始10分ほど前に室内に入ったときは、なかなか席が埋まらないので、心もとなく思いながら上映時刻を待っていると、それでも開始直前までには、全座席の8割以上が埋まった。この最終時期となってもこの人数が入るなら、かなり評判は良い方だと言えるのだろう。


一人のおばあさんの「不幸な犬猫を減らしたい」という思いから(本人からの依頼によって)、この映画は作られたという。それだけでも、従来のドキュメンタリ作品とは、一線を画したものであることがわかる。そしてこの映画は、その依頼人(おばあさん)と監督との会話によって始まり、やがてその依頼人が街の雑踏を立ち去っていく姿を、しばらく追い続けて行く。この社会が身勝手な人間の意思によって動かされていることを、前もって告げておきたかったのかもしれない。雑踏の人々は、皆、思い思いの方向を目指し、互いに気遣う気配すら見せずに行き交っている。そうした現実を、否応なく感じさせられたからだ。

本編に入ると、映画は様々な国内のペット事情と、見捨てられた動物たちの姿を紹介していく。整然と計算しつくされた配列ではなく、保護センター、処分処理場、民間のシェルター、地域猫を見守る人々を紹介する一方で、年間2兆円とも言われるペット産業をも紹介し、必ずしも「負の視点」ばかりを追い続けないことが、さらに国内ペット事情の抱える問題の大きさを、逆に浮き彫りにしていく。

この映画を実際に観るまでは、やはり正直なところ「ハンカチが手放せない映画」ではないかと思っていた。ところが実際に観てみると、涙腺が思わず緩みそうになる、ぎりぎりのところで、次のシーンに移っていく。淡々と取材結果をつなげることによって、決して「お涙頂戴映画」にはすまいとする、強い意思のようなものが、全編を通して感じられた。

むろんこの映画は、愛犬家・愛猫家ならば、見たくないような部分にも踏み込んでいる。中でも一番印象に残るのは、やはり「徳島市・動物愛護管理センター」(記憶だけで書いているので名称を間違った場合もご容赦)への取材だ。よく当局が取材に応じてくれたものと思う。このセンターでは(おそらく他県でも大同小異と思うが)名称に「愛護」の名を冠しながら、一方ではやはり捕獲犬猫(その一部には持込みも含まれる)の「殺処分」を請け負っている。

捕獲された犬が一週間の滞留期限を待つ間、一部屋ずつ番号の付けられた小部屋を移されて行き、最終日には、炭酸ガスによる殺処分機の筺体に入れられてゆく光景を経て、最後には、その処理方法の全貌までを、くまなく紹介している。これには今回、一番驚かされた。おそらく追跡撮影を許可されたのは過去に遡ってもなかったのでは?と思った。従来のマスコミによる取材とは、明らかに違う制作スタッフの示す何かが、当局担当者の心をも動かした結果ではないかと思う。
映画では、この動物愛護管理センターの責任者自らに、ここで行われる「殺処分」の最終章を次のように語らせている。「法律の規制により、このセンター内では殺処分はできない。そこで処分機に入れるまでを、このセンターで請け負う」
そして指さす先には殺処分機の筺体があり、その下にはレールが敷かれている。そのレールはどこに続いているのか?その先は駐車スペースへと続いており、そこにコンテナ車が駐車すれば、レールによって車内まで処分機が送り出される仕組みだ。
取材者の声はなお問いかける。「では、走りながら街中で処分が行われるのですね」そして、これ以降のくだりはもはや省略したい話だ。いずれにしても、センターを出た時点でこの世にあった命は、焼却場にコンテナ車が着いたときには、すでに失われている。

ただし、こうした一連のシーンは全て、いっきに語られるわけではなく、映画はいったん、また別の取材先を映ずる。そして後日、再びこのセンターのコンテナ車が走り出すところから続けている。そして焼却場に向かう車の向こうに広がった空が、とても悲しい色に見えた。

このように、印象に残るのは、やはり悲惨な部分を紹介しているシーンだ。こうしたテーマでは避けては通れない話と理解していても、愛犬・愛猫家が見続けて行くためには、相応の覚悟と忍耐が必要である。

山梨「犬捨て山」の取材も、そうした顕著な一例だろう。ただし、このケースでの取材は、あくまで現在のものであって、一番悲惨で辛い場面は「過去の記録」として語られているに過ぎない。それでも、ここでの取材は、初めて見る方にとってはかなり衝撃的だろう。幸い自分には過去のネットで見聞きしていた「免疫」もあったために、冷静に見ることができたのは唯一の救いである。

そして今でも、この現場には100頭以上の、いったん放棄された犬たちが暮らしている。映画では、ここに踏みとどまって世話を続ける一人の男性と、通って来るボランティアの学生たちへのインタビューを通して、一時期だけに集中し、その後はすぐに忘れ去るマスコミへの暗黙の批判と、いまなお延々と続いている草の根の活動があることを、紹介している。マルコ・ブルーノ(保護活動家:後述)もこうした中に関与している積極支援者の一人だ。

(映画をこれからご覧になる方は、以下のサイトを予め見ておかれると、さらに理解が深まるかもしれない)


山梨「犬の多頭飼育問題の真実」
http://www.animalweb.jp/bokuiki/tatou_hp/tatou_top.html

動物愛護支援の会(マルコ・ブルーノ)
http://www.adachi.ne.jp/users/help/home.htm


また、この映画は中ほどで、最新の英国事情についても取り上げている。「ドッグ・トラスト」という、予算も設備も日本とは比べものにならないほど進化したこのレスキュー施設は、挿入ナレーションで「下手な飼い主に飼われるぐらいなら、ずっとここにいた方が良い」と言わしめるほど、全てにおいて充実した保護犬のためのシェルターで(私たち日本人から見れば)、言わば「犬のホテル」と言っても過言ではないほどの施設だ。

Dog Trust
http://www.dogstrust.org.uk/

その一方で映画は、ロンドンには野良猫がいない理由にも密着していた。ほぼ百パーセントと言われる保護体制を確立したバタシー(?)管理センターの責任者は誇らしげに、「必ず100%の猫が譲渡される」と説明する。

Battersea Dogs & Cats Home
http://www.battersea.org.uk/

しかし、これだけ完全なペット先進国においても、なお、不自然な強制によって築かれてきた今日の隆盛を見直し、もっと自然な人と動物たちとの共生を模索しようとする動きもある。先には先があるものだと思った。そしてもし唯一、この映画に注文をつけるとすれば、あの英国の完成された社会システムが、実現に至るまでの背景についても、もう少し触れてほしかったと思う。

それでも、この映画では英国事情と前後し、戦前戦後を通して、(国内犬猫の)医療保護処分全てに携わってこられた前川獣医師師を取材している。あるいはその言葉を借りて、英国の「痛み」も暗に表現していたのかもしれない。インタビューに答えて、医師は言う。言葉の細部は記憶できなかったが、一言でいえばこういう会話である。つまり、「動物に対する愛や優しさは、自らの安定が先にあってこそ、生まれてくる」ものであると。

自らが貧しければ、慈しみの心は宿らないのか? そう言って反論することはたやすい。けれど、この医師の言葉は個人を評価したものではない。社会システムそのものの回復、再生の条件を呈示した言葉だと思うからだ。そう考えると、具体的にはあまり示されなかった、英国に内在する欠陥も、おぼろげながらに浮かび上がってくる気がする。
英国は世界有数の高税率国家だ(いちがいに比較はできないが、標準税率では日本の3倍とも言われる)。人間への福祉も含めて、犬猫への手厚い保護も、そうした血税の上に成り立っている。それでも誇り高い国民は、貧しさよりも「心の糧」を貴ぶのだろう。犬や猫を通して、人や国家の豊かさとは何かについても、改めて考えさせられずにはいられない。だからこそ、痛みを伴わない共生はないし、経済的な豊かさの上につくられた善意だけでは、まだまだ本物ではないことに、気付くべきだと思った。英国を待つ課題もきっとその先にあるのだろう。

その一方で、マルコ・ブルーノも言ったように、「日本の犬には生まれたくない」という言葉の延長には、まだ英国にすら遠く及ばない国内事情もある。あるいは神戸保護センター?(場所が思い出せないスミマセン)で活動される女性の言葉、「減らすことは理想、ゼロにするのは空想」、これもまた年間およそ30万頭(国内)といわれる殺処分に対する一つの紛れもないテーゼだ。


徳島の「崖っぷち犬」の取材映像は、たまたまこの映画制作の期間中に起こった、格好の素材だったのだろう。特別な時間枠(2時間中の30分ほど)を裂いて、様々な角度から克明に描いている。(前述:殺処分場の取材映像を別格とすれば)中でも気にかかった部分は、 崖っぷち犬譲渡会、当日のシーンである。
応募者そのものは10余名(?)と少なく、その中で権利を引き当てた女性についての報道はすでに見聞きしており、映画で初めて知る事実でもなくなっていたが、興味深く感じたのは、その譲渡抽選会に便乗し、あやかりたいと集まって来た「自ら引き取り手を探す」地域住民にも、スポットを当てて描かれた部分だった。
たとえば、抽選会場の周辺に立つ一人の女性にインタビューしている。きけば、周辺の野良犬が自宅の庭に入って、愛犬を孕ませたので数頭の仔犬が産まれた。何頭かは貰い手をみつけたが、まだ2頭残っているので、この機会にあやかろうと思って来た、というのだ。


[参考:徳島新聞 2006/11/22 15:07]
犬、眉山斜面で動けず 17日から絶食状態
http://www.topics.or.jp/special/122545433017/2006/11/11660768651818.html


カメラはやがて抽選会場の様子をいったん映して、再びこの女性のところへと戻る。「どうでしたか?」と聞かれた女性は「見つかりました2頭とも、助かりました」と、くったくなく笑う。けれども仔犬たちの運命が、これから「どうなるか?」への思いは、すでに、そこにはないかのように思えた。

一方でカメラは、会場付近に集まった、数人の少女たちを映し出す。一人ずつ1頭の仔犬を抱きかかえている。そのうち4頭の仔犬の引き取り手を、先ほどの女性同様に探しに来たのだという。しかも、その仔犬たちは捨て犬であって、それを彼女たちは、保健所に捕獲されぬよう裏山に隠し、餌を毎日交代で与えながら養ってきたのだと話す。
この子供たちにすれば、とにかく命を救うためには、誰か大人の引き取り手を見つけるしかない、という切ない願いが画面からも伝わってくる。
やがてインタビューの最中、孫を連れた男性が、そのうちの1頭を引き取りたいと申し出る。一人の少女が悲しそうに、その孫の手に、仔犬を手渡すシーンがとても印象的だ。その仔犬がどのような家庭にもらわれて行くのかは、知るすべもない。「14年飼っていた愛犬が死んだので」と男性は言い、孫の手を引いて会場を去っていった。おそらく身元も素性も告げなかっただろう。それでも飼い主を得たことだけで、その場は救われたかのようにも見える。だが本当にそれだけだろうか。

実はカメラは、ここ徳島の映像を映し出す少し前に、山梨県の崩壊飼育現場「犬捨て山」から救出された1頭の犬が、新しい里親の元に引き渡されるまでの様子も追跡している。そのシーンと、徳島のシーンとを比較して見ることができれば、こうした現場譲渡の中に隠された「もう一つの危うさ」も、おのずと見えて来るはずだなのだが。。。映画のシナリオはむしろ、そうした問題にはあえて踏み込まず、淡々と事実だけを積み上げて行く。

話を山梨の犬に戻すと、カメラは車中のマルコ・ブルーノ(保護活動家:前述)に向けられている。後部座席には、これから里親の元に引き取られていく犬が乗せられていた。
わざわざ大変ですね、との問いかけに対して、「これが最後のテストですよ」とブルーノは言う。「現場で聞かされたことが本当かどうか、自宅をこうして訪ねてみればわかるじゃありませんか」と。そう、保護された犬にとって、その後の環境こそが重要であることは言うまでもない。
こうした保護活動に身を投じる人々は、決して手元の保護犬の数減らしだけのために、身元もわからない相手に犬を託すようなことはしない。その犬の将来が、間違いなく保証されると信じたときのみ、譲渡するのである。
ブルーノの発言だけが特殊なものではく、身近に知る保護活動家たちの全てがそうしている。そう思うと、徳島の譲渡会場で見たシーンは、当の仔犬たちにとって、将来の安全を何ら保証するものではなかった。しかし少女たちにしてみれば、それが精一杯の選択だったことも事実だ。

けれども、この映画はこのときも暗に、こうした「譲渡後に起こる問題」へのメッセージも告げていたのだと思う。そのことは、別のシェルターにおけるシーンで登場する「出戻り犬:シロエモン」の姿を通して克明に語られている。
シロエモンは引きが強く、まともな散歩ひとつできず、落ち着きが極端にないので、いったん譲渡された里親から差し戻された犬だ。くったくなく極めて元気で、テンションも異常に高い。そしてシェルターでは、この犬を少しでも「一般的な飼い主」に適応させるための訓練を施そうと模索し続ける中で、異なったタイプの訓練士(ハード型・ソフト型・コミュニケーション型)を交互に招いて、散歩に始まるあらゆる躾を施そうとするのだったが。。。
しかし成果はいっこうに上がる様子を見せない。傍から見ていても歯がゆいほどである。チョークチェーンで引き戻されるシロエモンの姿と表情は特に痛々しい。果たして、これほど天衣無縫な犬を、「万人向けの犬」に改造することは正しいのか?私はどうしても理解できなかった。

そう、「犬を人間に合わせる改造」は、確かに引き取り手を見つけるための募集枠を広げる。けれどもシロエモンのような犬にとっては、むしろ逆に、「犬に合わせられる人間」を見つければ済む話だと思ったからである。難しいかもしれないが、若くて経済的にも豊かな体育会系のアスリートなどなら、きっとそれが可能だろう。願わくば、現役を退いた直後で、時間も暇も確保できる若者とのマン・ツー・マンがよい(家族が多いと逆に集中が途切れる)。
そんな飼い主が見つかれば、きっとスポーツ感覚でシロエモンとの生活を楽しめるはずだ。「ウォッチ・ミー、ぼくを見てよ!」カメラを見上げる彼の眼は、いつもそう言って輝いていた。その光をあえて消してしまう権利は誰にもないはずだと思った(これは映画というよりもシェルターへの感想になってしまったかもしれないけれども)。


さて最後に、この映画の「エンディングはどうだったか?」実際に映画をご覧になった方に聞きたい。どんな画面で終わったか、覚えておられるだろうか。
もしもネガティブな一面を強調し、そうならない社会を目指そうというメッセージを残すだけなら、徳島の捕獲センターから、焼却処分場を目指して走り出した車の前方に広がる空のズームアップでもよかった。反対にポジティブな一面をもって、目指すべき社会の理想形を示したいなら、ロンドンのドッグ・トラストで過ごす犬たちの姿を、ズームアウトしたまま、終わってもよかったはずだ。

けれども、この映画は、もっとずっと控えめな終わり方をしている。映画のラストシーンは、後の記憶に、きっとその映画の心象となって残る。そうした偏った心象を、あえて消したかったのではないかとさえ思える。少なくとも私には最終シーンの印象が薄く、だからこそ、逆に個々のシーンが際だつ記憶として残った。その最終シーンの答えを知りたい方は、是非、映画館にも足を運んでほしいと思う。


この映画は今月11/20(土)、東京渋谷「ユーロスペース」での最終上映を終えて、今後年内は、地方展開される予定だという。スケジュールはネット検索でも、この映画のオフィシャルサイトでも見ることができるが、以下のブログでも常時詳しく紹介している。渋谷での上映期限が迫っていることを、私に思い出させてくれたブログだ。この場を借りて改めて御礼申し上げたい。

拝啓 さくらセンパイ
http://ameblo.jp/haikei-sakura-senpai/

人は様々な偶然で繋がっている。今回の映画を通して、私自身もまた、様々な偶然と必然を思った。飼育放棄された犬や猫たちの未来も、そうした「草の根のつながり」を通して、少しずつ明るい光の射す場所へと導かれることを願っている。映画制作スタッフの方々から、視聴者に向けて託されたメッセージの意味も、案外そんなところにあるのではないかと思った。
殺処分のない社会は、やはり理想郷だろうか?(それでも)どうか少しずつでもいいから、そうした天の極みに近づきたいと思う。そして犬も猫も共にあって、子供たちの未来が少しでも明るいものとなりますように。


(「崖っぷち犬」と同じ現場(徳島市眉山)で保護された犬と子供、以下のブログから写真を拝借しました)

ブラッティー(♂)&マリー(♀)のひぐらしダイアリー
http://ameblo.jp/ky0jag/

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朗報:いま「Low Position BLOG!」(制作スタッフのブログ)を見ると、「好評につき、東京での緊急追加上映が決定(11/20)」と書かれている。詳細は、http://lowposi.jugem.jp/ を参照されたい。

 



一期一会 | 12:29 | comments(1) | trackbacks(0)
その後の「崖っぷち犬」たち



ある偶然から、3年ほど前の事件を思い出すことになった。
愛犬家の方なら、きっと覚えていると思うが、徳島市・眉山の「崖っぷち犬」事件のことだ。当時はマスコミでも、かなり報道されたし、捨て犬保護活動や行政の在り方にも一石を投じたはずの事件だった。斜面の岩棚から脱出出来ずに、不安そうに見下ろす、やせた茶色の犬の姿が甦ってくる。



(徳島新聞の記事から3カットを拝借した)


[徳島新聞 2006/11/22 15:07]
犬、眉山斜面で動けず 17日から絶食状態
http://www.topics.or.jp/special/122545433017/2006/11/11660768651818.html


あのとき報道された犬は、その後、抽選で里親となった方が体調を崩して、飼うことが出来なくなったことで、いったん行政側で引き取ったと、その後のマスコミで小さく報道されたところまでは、私にも記憶がある。


[徳島新聞 2008/11/12 15:49]
「崖っぷち犬」元気です 里親から引き取り飼育
http://www.topics.or.jp/special/122545433017/2008/11/2008_122647261508.html


その最終報道から一年、その後の消息もプッツリと途絶えて、そろそろ私も忘れかけていたところだったが、先日たまたま、事件のあった同じ眉山で保護された犬たちのことが書かれたブログに出会った。


[ブラッティー(♂)&マリー(♀)のひぐらしダイアリー]
http://ameblo.jp/ky0jag


この中に、保護されたとき(2008年の5月)の現場写真がある。




(眉山で発見されたとき、寄り添う姿が痛々しい)

2頭の仔犬(兄妹犬)が力尽きて蹲っている姿は、とても正視に絶えないようにも見えるが、その現在の姿を見ることで、保護されてから今日に至る一年半の全てを理解できるような気がした。このような出来事は、全国にたくさんあるはずだと分かっていながら、何もできていない自分がいる。だからこそ、溜飲を下げる思いがしたのかもしれない。



(保護されて、しばらく経過した頃、熟睡中の兄妹)


そして今、スリムで美しく成長した犬たちの姿が眩しい。2頭は黒と茶の兄妹犬で雑種だというが、ここでは、その黒と茶のコントラストが、どんな純血種よりも素敵に見えるから不思議だ。



(兄(弟かもしれないが):黒のブラッティー)



(妹(姉かもしれないが):薄茶のマリー)

むろん、この兄妹犬にとって「本当の生活」は、まだようやく始まったばかりだろう。成長して体躯が仕上がる4〜5歳頃には、いったいどんな姿を見せてくれるだろうか?是非その結果を見届けたいものだ。



(そして昨夜:ごはん、まだかなー、と待っている)

P.S.勝手にお写真拝借してすみません>ブラッティー(♂)&マリー(♀)



一期一会 | 01:54 | comments(0) | trackbacks(0)
ハナが無事退院した!

避妊手術も無事終わって、ハナちゃんが退院したと書かれていた。写真も一枚アップされているが、確かにどこか「戸惑ったような表情」をしている。わが身に起こったことを理解させるのは難しいだろうから、いまは、ただ一日も早い全快あるのみ、そう思っています。

毎回、お写真を拝借するのも気が咎めるので、どうぞハナちゃんのお見舞いがてら、ワンダーランドさんのブログに飛んでください。

http://wanwanderland.blog22.fc2.com/


後から知った話だが、ハナちゃんのフィラリア検査がマイナスで良かったと言っていたところ、実は、ハナちゃんが置かれていた会社の従業員の方が、ちゃんと予防薬の投与はしていてくれたとのこと。当の飼い主であったはずの「社長」は、そのことすら知らなかったというから、誠に無責任きわまりない話で、ただ唖然とする。

それでも、その善意の従業員さんのお陰で、ハナちゃんは今年の夏を乗り切れたわけだ。
いったんフィラリアにかかってしまうと、完治させるまでには、長い投薬と根気のいる治療が、数年にも及ぶことがあると聞いた。そのことだけでも、ハナちゃんには運があったと言うこともできる。その強運を今後の犬生にも、どうか活かしてほしい。


一方、ハナちゃんと同じ「里親さん待ち」の雄犬、山代ケンちゃんが、なんと「輸血犬」として出動するため、現在、外泊中という。そうか!そんな仕事もあるんだ!と、ちょっとビックリ。わが身の今後さえまだわからないのに、他の犬の命を救う立場に。。。むろん自分の意思ではありますまいが、知る限り、穏やかで明るい性格のワンちゃんのこと、きっと自らでも志願してくれた気がしますね。彼の出動も、どうか無事その使命を果たせますように。

里親募集中の犬が、飼い主さんのいる犬のために輸血する。なんとなく泣ける話だと思い、つい書き足してしまいました。

 



一期一会 | 19:17 | comments(1) | trackbacks(0)
ハナがシャンプー中


笑っているハナちゃんを昨日見て、少しほっとしていたところ、今夜はワンダーランドさんのお店で、シャンプー中のハナちゃんのお姿を発見(1枚拝借ごめんなさい>お店の方)! 
暴れるかと思いきや、予想に反しておとなしく、良い子でシャンプーされている様子がかわいい。この子が前回シャンプーしてもらったのは、いったい何時のことだったのだろう?もしかして2年前、里親さんに出される直前以来?だったのではないだろうか。
そして、見違えるようにきれいになって、さっぱりした散歩姿は、どうぞお店のブログでご覧ください。
(あまり写真コピーしてしまうと版権侵害になるから)
http://wanwanderland.blog22.fc2.com/

里親さん探しの、お見合い写真もこれで安心。シャンプーのときの様子で、ハナちゃんがおとなしいことも、改めて証明されて、今後の見通しにも、明るい材料が揃いましたね。
何よりも嬉しいのは、その後のハナちゃんが(次回通院までの暫定とはいえ)、今もそのまま、清潔なお店の中で眠っていること。他の一時預かりワンちゃんたちとも、仲良くできているようで、そんなところにも適応性の良さを感じさせます。だから、きっと素敵な家族に出会えますよね。そう思いました。

時を同じくして、お店では、新たな子猫も保護されたそう。仕事の合間での様々な対応、本当に大変なことだと思います。保護なさって、シャンプーして、里親さんを探して。エンドレスな毎日で、どうかお身体を壊さないようになさってください。くれぐれもご自愛を。。。



一期一会 | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0)
ペット事情の闇に光を
「続・富士丸探検隊」の対談で話されている中に、こんなひとこまがあった。
動物愛護の映画を作っても、本当に見せたい人々は見にも来ない。来るのは最初から、ある程度の価値観を共有できる人々ばかりだ。
けれども、そうして少しずつでも影響を与える地道な活動を通して、何かが変わってくるはずと、二人の会話は続いていく。

日本は欧米に比べ、統計上のペット殺処分数は、年間ベースで、十数倍にもなるのだと言う。ペット大国と言われる日本の現実は、そうした裏事情の上に成り立っているわけだ。

そして一度でも「動物愛護センター」のような施設に、実際に足を運んでみると、映画やテレビの報道以上に、辛い現実と向き合わなくてはならない。
狭い通路に沿って仕切られたガラス張りの7つの部屋。収容された犬たちは、毎日ひと部屋ずつ先に移動していく。最後の部屋で一夜を過ごしたら、その先はもうない。

かつて、世田谷区にあるその施設を、実際に訪ねたとき、私はこんな話も聞いた。噛傷事件(つまり人を噛むこと)を起こして捕獲された犬は、飼い主が引き出しに来ない限り、第三者への譲渡はできない。
これは東京都だけのルールかもしれないが、犬が人を噛むのにも、様々な理由があろう。それを思えば、こうした制限を設けることは、やはり何かが間違っている。この時のルールは、7年以上を経た今も生きているのだろうか。

いずれにせよ、飼育放棄された犬たちに待ち受けている運命は過酷だ。
そう思い当たれば、富士丸はむろんのこと、飼育放棄されたハナでさえも、救いの手を差し延べて下さる方々に恵まれた、幸運な犬だということが少しずつわかってくる。
だから、ここ数日、見聞きしてきたことは、不幸な中にあっても、まだ明るいニュースなのかもしれない。世の中には、人目にもつかない所で、何倍もの痛ましい出来事がある。

だからこそ、飯田監督の今回の映画が、前出の対談を機会に、もっと多くの話題を集めて、不健全なペットブームの裏側に、光を当てるきっかけとなることを、切に願っている。


一期一会 | 11:57 | comments(0) | trackbacks(0)
ハナが笑っている


続・富士丸探検隊の記事を書いた後、ハナちゃんの近況が何かアップされていないかと、当のブログ、
http://itabasinoinutati.blog47.fc2.com/

に飛んでみたら、ありました。やっと嬉しいハナのニュースが。病院通いの合間に、シャンプーをしてもらったようで、きれいにピカピカになったハナの写真が!

1枚だけお借りして、ここにも是非、貼っておきたいほどの笑顔で(勝手にお借りしてスミマセン!)。
放棄先での写真や、先日見てきたときの写真とは、明らかに違う「笑顔」が感じられます。犬も確かに「笑う」ことがあると思う。それを否定する動物学者もいるようだけれども、この写真のハナちゃんは、やっぱり笑っているとしか思えない。
不安や喜びは、紛れもなく「顔に出る」のだと、そう思います。あとは、一日も早く、この笑顔が本物になるように、事態が好転することを祈るばかり。
この写真が撮られた、ボランティアさんのお店、ワンダーランドには、
http://wanwanderland.blog22.fc2.com/

まだ他にも、高齢の紀州犬や山代犬という「地犬」のワンちゃんがいます。いずれも里親さん募集中の身。それでも仲良く(?)3ショットで撮られた写真などを、あちらのサイトで拝見していると、犬たちは、決してわが身の不幸など「嘆いていない」ようにも見えます。それが唯一の救いなのかもしれない。

 



一期一会 | 00:15 | comments(1) | trackbacks(0)
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